本の虫生活

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MIU404最終回記念。あしたの分岐点

すぐそばにある分岐点。

誰かの最悪の事態が起こる前に、なにができるだろう。

 

9月4日最終回だった、TBSドラマMIU404。

もう来週金曜から観れないのか…と思うとロスを感じるけれど、ずっと過去の世界線で描かれた物語が‟現在”に着地し、未来へと繋がっていく希望を見せるラストは、すっと胸に落ちてきて思ってたより酷いロスにはならなかったのが意外。今日もどこかで機捜404コンビが街をパトロールしてくれている気がする。

 

(以下、最終回までのネタバレを含みます)

最終話。九重は機捜から外され、陣馬さんは違法ドラックの工場から逃走したトラックにひき逃げされ意識不明の重体、久住を追わず病院を目指した志摩は判断を悔やみ続け、伊吹はそんな志摩と噛み合わず今までの信頼関係に揺らぎが出てしまう。そんななか、桔梗隊長はこれまでの責任を問われ、機捜の隊長を解任されてしまう。久住がまんまと逃げおおせるなか、満身創痍の機捜メンバー。最終話なのにバラバラになってしまった機捜。姿も見えない敵にこのまま逃げられないように、志摩は伊吹に黙ってRECに協力を仰ぎ、九重のコネを利用して久住を追いかけ始める。どう見ても不穏な展開にハラハラする。

 

…ここで、まさか1話で志摩に盗聴された伊吹が、志摩を盗聴し返すのは全然予想していなかった。相棒を巻き込まないように、自分だけが泥を被り単独で久住を捕まえようとする志摩を、ここで伊吹が出し抜く展開にゾクゾクした。でも、確実に1話と違ったのは、2人とも相棒を‟信頼していない”のではなくて、大事な相棒を間違った道に行かせないために動いていたこと。志摩は伊吹を突き放すことで守ろうとし、伊吹は志摩の様子を心配して、未然に最悪の事態を防ぐために一人で久住に会いにいった。互いを想うからこそ離れて行動した11話。1話から信頼関係をすこしずつ築き、6話、8話で互いの傷を知り絆を深め、9話で見事‟最悪”を防ぐことができたバディが、11話で改めて単独に行動する。これが吉と出るのか凶となるのか、盗聴から船へのシーンは手に汗握るハラハラ感だった。

久住と対峙したクルーザーのシーン。いきなり乱闘になるかと思いきや、「話がしたい」と持ち掛けた伊吹。そういえば、このドラマはいつもそうだった。

 

「話したくない」「顔も見たくない」と同僚に言われ続けた伊吹。

逃走に手を貸し、加々見の話を聞こうとした田辺夫妻。

重傷を負いながら逃げる青池の話を聞きたいという伊吹。

伊吹を唯一信じてくれたガマさん。

「この国に来るな」と留学生に叫んだ水森。

かつて相棒を失った志摩に、香坂の最期の想いを届けた伊吹。

九重の「全部聞く」。

伊吹と一切の話を拒むガマさん。

相手によって全く違う身の上話をする久住。

意識不明の陣馬さんに話かける九重。

盗聴した志摩の言葉を最後まで聞かず、走り出した伊吹。

 

届かなかったことば、無視され聞いてもらえなかったことば、聞きたい、教えてという相手を想うことば、嘘で固めた上辺のことば、届いてほしいと祈るようなことば。話したい、話せない、聞きたい、聞こえない。

話すことは、相手を知るための第一歩。

徹頭徹尾本音をはぐらかし、対等な話を拒む久住に対し、伊吹は「話がしたい」という。陣馬さんを重傷へ負い込み、数多の人生をもて遊ぶように狂わせてきた久住を‟許さない”と言いながら、なお対話を試みようとする。衝撃的なのは「許すかどうか話して決める」という台詞。警察だからとか、陣馬さんのことを許せないからとか、突っ走って久住に会いに来たのではないのだ。会って‟話をして”久住を知り、それで身の振りを決めようというのか。グラグラと揺れ動く境界線が、この後の更なる衝撃の展開を裏付けていく。伊吹もまた揺れているのだ。

 

元警察官で、伊吹が誰よりも信じていたガマさんですら殺人という許されざる罪を犯した。「信じたかった」加々見は罪を犯していたと知り、ガマさんの絶望を目にして、ハムちゃんに何かあったら絶対に許せないと怒りを燃やしてきた伊吹は、自分が‟久住の罪を許せるか(警察官として真っ当に逮捕できるか)」船上で見極めようとしていた。

船の上、動かない地面ではなく、絶えず揺れ動く船内というのが、揺れる伊吹の心とシンクロする。小憎らしいくらい揺らがない、他人も自分もどうでもよいという久住と好対照で、この船のシーンはとても鮮烈だった。

話を聞き「許すかどうか決める」と言った伊吹に対し、久住は「お前になんでそんな権利があるのだ」と投げ返す。神様でもないのに、と。これは、出所しても何度も何度も罪を繰り返す犯人を説得し続けたが予想もしない反撃に遭ったガマさんのケースとも似ている。罪を悔い、反省して社会に戻ることを求める警察と、その‟社会”に許してもらおうと思わない者たち(社会から裁かれるのではなく、逃げ続けて出し抜こうとするトランクルームの指名手配犯も、こちらの部類か)。

警察の、社会のルールを真っ向から対立し、「許しなど請わない」という者たちに、どう接するべきなのか。耐えがたい攻撃に遭った場合でも、‟清く正しく”警察官として、真っ当な社会の一員として接することはできるのか。警察の正義を妄信する訳ではなく、かといって自分の意思のみをつきとおし久住を憎むのではなく、話をして境界を、分岐をどちらに進もうかと思案する伊吹は、なんと真摯なのだろうと思う。

どちらかに振り切ってしまえば楽なのに、相手を理解しようとし、ギリギリのラインまで歩み寄ろうとする。久住は傲慢と思ったかもしれないが、これこそ志摩の言った‟伊吹の優しさ”なのだとようやく理解した。

 

この後のシーンの衝撃は、最終話を観た人たちの共通認識と思うけれど、伊吹と志摩が‟もしも”の最悪の事態を招かずに済んだのは、2人がバディとして信頼してきたからとか、警察官の良心を優先する心があったからとかではなく、きっと「そういう分岐を進めたから」なのだと思うとゾッとする。もし片方が命の危険に曝されていたら、片方が理不尽に命を奪われていたら、罪の境界を越えていた未来はあり得た。それまで積み重ねてきた時間も努力も、一瞬にして奪われてしまうことがある。久住が言うように、「神様の指先ひとつ」で運命など一瞬で塗り替えられてしまう。そんな残酷なことは、わたし達が普段忘れてしまっていても、目を背けていても、毎日どこかで起こり続けている。10年前、泥水、…。2011年のあの災害を思い浮かべた人はきっといるだろう。そして、その災害を普段忘れて何事もなかったかのように生きている自分達と、まだずっと苦しむ人がいることを思い出したかもしれないし、思い出す記憶すらあやふやだったかもしれない。思わせぶりな示唆の多いクルーザーのシーンは、‟忘れる”‟消える”ことへの警鐘などではなく、他人の身勝手への絶望か、憎悪か。高見の見物で‟悲劇”を鑑賞し、そして忘れていった者への皮肉だったのか。正直、このシーンはまだ消化しきれないように感じる。

 

しかし、伊吹と志摩は境界を越えなかった。九重の祈りに応えたかのように目を覚ました陣馬と、陣馬の目覚めを知らせた九重、何度も何度もメッセージを受信したスマホが震えて落ち、伊吹の目を覚まさせる。2人とも生きている、最悪の夢はもう脱したから、再び2人は動き出す。九重がメロンパン号で迎えに来て、指揮を桔梗隊長がとり、バラバラだった機捜が息を吹き返す。悪夢から一転した正のピタゴラスイッチは、逃げおおせた久住を再び捕捉する。ここで見つかった久住は「川を進む屋形船」の中。対する機捜は、橋の上から追撃する。もう迷うことのない機捜は、境界(川)をどちら側にも行かず逃げおおせようとする久住を捕まえる。2つの境界を結ぶ橋から機捜が来るという演出がまた効いている。

 

久住の命運を分けたのは、何だったのか。

積み上げてきた信頼で、桔梗隊長の指揮、陣馬さんの目覚め、3人のメロンパン号で久住を見つ出した伊吹達と、一人で立ちまわり、使い捨てにしてきた「仲間」がドラック漬けであったせいで助けを呼べなかった久住。これまで積み上げた時間が、信頼が、小さな正義達がようやく勝利した瞬間なのだろう。

 

小さな正義を一つ一つ拾ったその先に、少しでも明るい未来があるんじゃないですか?

 

世界は今日も理不尽に満ちていて、積み上げてきたものも明日には奪われているかもしれない。

どんなに望んでも、失ったものは還らず許すことはできないかもしれない。

誰しも毎日分岐点にいて、その判断は些細なことで変わってしまう。

でも、だからこそ、毎日の小さな正義の積み重ねが、正のピタゴラスイッチを動かすかもしれない。

 

すぐそばにある分岐点。

誰かの最悪の事態が起こる前に、なにができるだろう。なにもできないかもしれない。

でも、その時は気が付かなくても、小さな行動が奇跡を起こすかもしれない。

間違えたら、またそこから。

 

いつだって、ゼロから一つずつ積み上げていこう。

綺麗ごとでない希望を見せてくれて、ありがとう。

MIUロスだけど、ロスじゃない。もうちょっと浸ろうと思う。

 

 

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