本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

【五十音順・おすすめ小説紹介】62冊目 中村文則

 おすすめ本紹介、62回目。

 

もうずっと更新していなかった五十音順小説紹介シリーズ、62冊目。

心機一転、タイトルを変えました。

 

銃 (河出文庫)

銃 (河出文庫)

  • 作者:中村 文則
  • 発売日: 2012/07/05
  • メディア: 文庫
 

 ようやく中村文則さんまで来たかと思うと、この五十音順紹介も折り返しを過ぎたのだと感じます。

この著者の作品で選ぶならどれにするか…と結構悩みましたが、やっぱり掏摸か銃かな、と思い選びました。

 

幼い頃、虐待が原因で施設に預けられ、養父母に引き取られて育った1人の青年が、ある日偶然銃を手にしたことで、静かに歯車が狂い狂気へと踏み出していく。

短い話ですが、背徳感と高揚をじわじわと募らせていく青年の危うい心理描写が印象的です。銃という暴力しか生まない武骨な武器を、うつくしい存在として認識する狂気と、警察に嗅ぎ付けられ怯える小市民的な感情。銃を持たなければ、ただ普通のありふれた人間のひとりであるのに、持ち続けることで徐々に銃に乗っ取られたように道を踏み外していく過程にドキドキしました。

 

銃を所持したことで万能感に浸る青年は、ある夜、死にかけた猫に発砲してしまいます。その後、青年が銃を所持していると疑った刑事には「猫のつぎは、人に使いたくなる」と警告される場面があります。

青年はもう銃を捨てようと思いながら、使いたい気持ちを抑えられず、犯行計画を立てますが・・・。

 

「銃を撃ちたい」という欲を抑えきれず、銃にいいように振り回されるような後半の展開は、読んでいるこちらもハラハラさせます。警察を前にしても落ち着いて話し、冷静に犯行計画を立てる冷徹なキャラクターに見える一方、ごく普通の大学生としての生活を保ち、銃の存在に恐れを抱く。「このままでは撃ってしまう」「本当に計画を実行するのか」とことあるごとに迷う青年は、どうしようもなく普通の人間なのだとわかってしまい、平凡で善良な人間でも、単純な暴力、銃という魅力の前ではあっけなく意思を乗っ取られてしまうのかと背筋が寒くなります。

ネタバレになるので書きませんが、終わり方がとても好きで、ぜひあらすじやネタバレを検索せず、まっさらな状態で読んでほしい本です。

ちなみに、わたしは観ていませんが、映画にもなっているそうです。

 

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バルガス・リョサを読んでみた

本当は『緑の家』を読もうと思ったのですが、下巻だけ本屋になかったためこちらが初読になりました。 

 

アンデスのリトゥーマ

アンデスのリトゥーマ

 

 

ノーベル賞作家ということも知らず、以前誰かがTwitterで書評を書いていた『緑の家』が気になり、いつかこの著者の本を読もうと決めていました。

南米はいつか絶対旅行に行こうを決めていて、大好きな土地なのですが、南米の文学作品というのは今まで全く読んだことがなかったので、ワクワクしながら読んでみました。

 

ペルーのアンデス山脈山中で起こった3人の男の失踪事件を捜索する伍長のリトゥーマと助手のトマス、失踪直前まで男たちが立ち寄ったとされる酒場の夫婦、不気味な悪霊の噂と迷信、苛烈な革命の嵐、トマスの恋愛話。なんだか横溝とか京極を思いっきり異国情緒で描いた舞台設定が最初から好みで、あらすじを見た瞬間に買いました。

山中の道路工事現場で働く作業員の男3人が失踪した時点から物語は始まり、伍長リトゥーマが失踪の原因よ3人の行方を周囲の人びとへと聞き取ります。しかし、作業員たちは口が重く、何等かの関わりがあったとされる酒場の夫婦や怪しげな占いや悪霊の噂を口にするばかりで肝心のことは何も話さない。助手のトマスは協力するどころか、自分の元を去った可愛い娘の思い出話に浸るだけで毎日を過ごしている。遅々として進まない捜査とトマスの思い出話、失踪した3人の男たち自身の回想、土地を巡る迷信、現地の文化や自然を研究する外国人、各地で激しい暴力を引き起こす革命軍団。すべてが最後に一つの真実へと収束するとき、ぞっとするような『現実』が眼前に現れ・・・。

 

最初は様々な視点、時系列、妄想や記憶が行ったり来たりする独特の表現方法に慣れず、ミステリよりも幻想系かと思い読み進めてきました。アンナ・カヴァンとかより読みやすいけれど、そっちよりに思えるといいますか。どこまでが作中で語られる『現実』で『記憶』で『妄想』なのか。読めば読むほど混乱するようで、しかし徐々に3人の男の背景や事情、周辺地域の荒れた世相、怪しげな迷信が浮かび上がってくる文章は、幻想的で抽象的に見えつつ、とても精密に仕組まれた書き方だと最後に分かり、俄かに戦慄します。

最後まで読んで「ミステリだったのか」と驚き、煙に巻かれていたことに気付きページを捲りなおしたくなる、そういう小説でした。

※ちょっと怖いといいますか、グロテスクな描写もあるので、苦手な人はご注意ください。

 

異国情緒たっぷり、旅情緒を誘うとは到底言えない恐ろしく荒れた治安、革命にかこつけた激しい暴力、自然の驚異が描かれていて、行くのはとても怖ろしいと感じるけれど、何故か前より南米に行きたくなりました。簡単には理解できない離れた文化、野蛮と感じるかけ離れた習俗。自分が簡単に理解できないからこそ、もっと知りたくなるのかもしれません。

ちなみに、わたしはアンデス山脈パタゴニア地方が大好きで、パタゴニアという広大な地域のなかに、山脈、氷河、湖、森、草原など様々な豊かな自然を含んでいます。一回じゃまわりきれないから、本当は1年くらい住んでゆっくり回りたいです。

また、アンデス山脈にはこんな珍しい花があります。

世界遺産を紹介する番組で観て、100年に1度しか咲かないという壮大なスケールに圧倒され、咲くまでの1か月をテントを張って見続けたいと思ってました。

高校の国語で『夢十夜』第一夜を読んだとき、「プヤライモンディだ!」と思って集中できなくなったのを思い出します。

blog.zenobiamamani.com

1,000冊の作品を読んでも、また貴方に会いに戻る

漫画が好き。

小説とか小難しいノンフィクションとかも好きだけど、漫画は他には代えられない魅力がある。華やかな絵柄、登場人物たちのくるくる変わる豊かな表情に心理描写、劇的な展開、濃い内容でもあっという間に読めてしまうスピード感。どれも好きで、早く読めて世界観に浸れるのが魅力だけど、早く読んでしまうのが勿体ない作品も多い。

 

少年漫画も少女漫画も青年系もお仕事系も、どんな漫画も読むのだけれど、100種類の漫画を読んでも1,000冊の漫画を読んでも、最後にはこの作品に帰ってくる。

 

 

 

もう何度も紹介している気がするけれど、ほとんどの本は読んだら手放すか、図書館等で借りて返してしまうわたしが、大切に保管している漫画のひとつ。

軽快なラブコメ、時代物、というと何となくよくあるパターンだと思うけれど、人間の機微の細やかさをここまで丁寧に織り上げている作品をわたしは知らない。

 

**あらすじ**

明治時代がはじまり、既存のあらゆる概念が塗り替えられていく劇的な江戸(東京)の街が舞台。大店の商家の娘菊乃は、女学校で学ぶことを目指し、旧弊な江戸から明治へと変わっていく風潮を歓迎している。…とはいえ、現代とは違い学問をする女、進歩的な考え方などまだまだ受け入れられない時代の過渡期に、自らの目的を達するため、菊乃は元忍びだという青年と偽装結婚することを決めた。元忍び、清十郎と名乗る青年と主従契約を結び、晴れて偽装の婚約者という身分で自由を謳歌する菊乃だが、外に出て様々な‟現実”を目の当たりにし、次から次へとトラブルに巻き込まれてしまう。厳しい現実と世相を知り、迷いながらも成長していく菊乃。菊乃を献身的に支える清十郎との距離も徐々に変わっていくが、『清十郎』を巡る巨大な思惑に翻弄され、2人の関係は破綻へと進んでいくこととなり…。

 

 

明るくじれったくキュンとするラブコメかと思いきや、逃れようのない歴史の重み、激動の時代に振り回される人々、『江戸』から『明治』に変わったという一言では済ませられない、その時代を生きる人々の叫びや葛藤や喜びを短い1話1話に繊細に織り込んでいく、人々の機微の描き方がとても心に響く。

 

主人公の菊乃は裕福な商家の娘であり、生活に困ることはなく、武家のように急な凋落や出世に振り回されず、時代が変わる最先端の街で自由に心躍らせる『恵まれた』存在である。外の世界に出て、自分が恵まれていること、それでも男性と同じようには扱ってもらえないこと、救いの手を受け取ってくれない相手がいること、不用意に人を傷つけ、そして自分も傷つくことを知り、打ちのめされても外の世界を見続ける彼女はとても気高く、眩しい。悩むし苦しむし後悔するけど、他人を知ろうとする心、自らを変えていこうと常に努力する思考と行動力。読みながら、こんなかっこいい女の子が現実で近くにいたら、尊敬するだろうか、嫉妬するだろうか、敬遠してしまうだろうか、と悩んでしまう。きっと離れてみていたら『恵まれた人間の傲慢な姿』に見えるかもしれない。でも、未来を想像して好奇心に瞳を輝かせる人が近くにいたら、世界はちょっと楽しく見える気がする。

それと、菊乃をずっと支える清十郎が、また最高にかっこいい。菊乃の前では非情な忍びの顔を隠し、隠しきれずとも彼女には暗い部分を見せないように、汚い世界から遠ざけようと献身する清十郎。菊乃の前では、捨てた筈の感情や未練を思わず露呈してしまい、冷めているのに菊乃にも、周りの人にも優しい眼差しを時折送る彼がたまらない。亀の歩みのごとき2人の関係は、少女漫画として読むと驚くほど遅い展開だけれど、相手を尊重して少しずつ、進んだり退いたりしている2人は微笑ましい。長くなってしまうし書ききれないけれど、主人公ペア以外の登場人物も魅力的で、薩摩出身の愚直な警官、会津の生き残りである武家の娘、土佐出身の姫を想う軍人、そして、市井を生きる『普通』の人達。それぞれに全く違う事情と人生があり、悩みや希望や絶望を持ち、人生が交錯していく。1話きりしか出てこない人物もなぜか心に残り忘れられない、そういう描かれ方をしている。

時代の所為、環境の所為、相手の所為、…。そうやって諦め、非難するのではなくて、憎むのではなく、希望へと変えていこうとができる『強さ』と『優しさ』が全編に溢れている。

わたしがこの時代に生きていたら、あまりの変化に、奪われたものに、心無い非難に傷つき、恨んでばかりの味気ない人生を送ったかもしれない。けれど、それは現代でも同じことで、感染症や経済の落ち込み、家族関係、職場の悩み。自分を取り巻く状況に疲れ、苛々する毎日を送っている。タグを見てこの漫画を思い出したとき、自分の狭量さと視野の狭さに、好奇心を失いつつあったことに気づかされた。時代の所為にするのは簡単だけれど、腐らず、諦めず、人を非難せず、なにか自分にできることは、したいことは何かと問いたくなった。人と関わりにくい世の中になったけれど、自分の為だけでなく、側にいる人の為に何かできないか、そう思ったことが久しぶりであることに愕然とした。

 

辛くて、もう投げ出したくなる毎日でも、すこしの癒しを齎してくれる。

それだけじゃなくて、好奇心をもって明日を楽しむ勇気を与えてくれる。

1,000冊の漫画を読んだ後でも、わたしはきっとこの作品に戻ってくるだろう。

 

ソロモンの偽証検証_【後編】"信じる"ことのその先に

ソロモンの偽証、感想後編です。 

 

ソロモンの偽証: 第Ⅲ部 法廷 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第Ⅲ部 法廷 上巻 (新潮文庫)

 

 5-6巻 あらすじ

 ついに始まった学級裁判。8月15日終戦記念日、快晴のなか開廷された裁判。全日程5日間の濃密な時間がはじまる。

落ち着いた弁論と着々と積み重ねた状況証拠で被告人の弁護を有利にすすめる弁護側。藤野涼子の予想通り、警察、遺族の証言、どれを取っても旗色の悪い検事側は、弁護側や傍聴人の意表をつく証人を次々と召喚し、追い上げを図る。両者とも一歩も譲らない激しい論戦が序盤、繰り広げられる。しかし、結末に近づくにつれ、奇妙な感覚が藤野涼子を襲う。もしかしたら、真実はもっと別のところにあるのではないか…。最後の最後で、秘されていた事実が暴かれるとき、事件の様相は一気に裏返る。はたして、真実は、結論はどこに着地するのだろうか…。

 

 

〇後半ーマ_"信じる"ことのその先に

「誰かに言い分を聞いてもらい、信じてもらい、擁護してもらい、一緒に戦ってもらうという経験が、切実に必要なのかもしれないな。」

 新潮文庫「ソロモンの偽証」6巻 P58より一部抜粋)

 

痛々しい小説だった。読みながら、自分の欠点を、忘れていた過去の失態を、自分のいままでの人生を糾弾されているような気がした。

 

 

Ⅰ嘘と法廷

告発状の差出人、三宅樹理が大出を陥れるために吐いた嘘。森内に嫉妬し、告発状をテレビ局に送り付けた垣内美奈絵の悪意。野田健一の、両親を殺そうとした計画を隠すために吐いた嘘。そして、神原和彦が隠していた事実。

真実を見つけ出すために法廷では、宣誓のとおり事実だけが語られることはない。むしろ、本作では、三宅樹理の「偽の証言」を検事側が採用するというセンセーショナルな場面があった。警察が調べ、被害者の両親が語り、傍証からして誰一人真実と‟信じていない”事実を語る三宅樹理の証言を、それでも藤野涼子は法廷で語らせた。この‟学級裁判”自体が、最初から本気で被告人を疑っている訳ではなかった。大人も子どもも、大出少年が無実であることなど心の底ではわかっていた。だから、裁判は、被告人の罪を判定する場ではなかった。

なら、なぜ裁判は行われたのか。

都合の悪いことを隠蔽し、様々な事実が秘せられたままでは、どんなに確からしい事実があっても疑念は払拭できない。大出俊次は本当に無実なのか。柏木卓也はなぜ亡くなったのか。浅井松子は、なぜ死ななければならなかったのか。噂でも憶測でもなく、きちんと当時を振り返って考えることで、きっと真相は掴める。裁判を‟開く”ことこそがなにより重要だからこそ、結果がどうであれ‟藤野涼子の勝ちになる”と神原和彦は言った。

そしてそれは、結果として‟声なき声”を聴き、黙殺された、或いは告白の機会を奪われた者たちを救うことになる。

 

Ⅱ対話

この小説の魅力は、‟裁判が争うことを目的としない”という、逆説的な設定に大きくよると思う。普通裁判といったら、検事と弁護側が被告人の罪状を巡って争うものだけれど、この学級裁判は違う。物語が進むにつれ、弁護人、検事側双方の証人が出廷するたびに、新しい事実が開示されていく。なかには嘘や仕込みが混ざっていて、トラブルも次々と発生する。本作で描きたかったのは‟対話”ではないだろうか。

 

三宅樹理は、学校内の嫌われ者で、誰にも信用してもらえなかった。

大出俊次達の悪事は、学外まで知れ渡っていたのに、誰も彼らを正面から糾弾も説教もできなかった。

野田健一は、あと一歩で完全犯罪を実行するところだった。

垣内美奈絵は、夫に去られ誰にも気に掛けられず放置されていた。

柏木卓也は、教室内で誰からも構われず、孤立していた。

神原和彦は、クリスマスの夜の出来事を誰にも打ち明けなかった。

 

これらは全て相似形で、すべて‟孤独”の形をとっている。

柏木卓也の事件に直接は関係ないとして、誰もに取り合おうとしなかったそれぞれの葛藤を、孤独を、裁判という場で取り上げることで‟対話”に持ち込んだ。

誰にも話せなかった、誰も聞いてくれなかった、聞いてくれないと諦めていた、そんな孤独を抱えた者達を「信じて」話す場を設けることで、憑き物が落ちたように変わっていく証人たちの描写がすばらしい。

 

Ⅲ‟信じてもらう”ことの先へ

特に、最後まで見せ場のあった三宅樹理の描き方は、すごく胸にささった。

藤野涼子は、心の底では信じられないと思っていても、検事として「信じる」ことを三宅に約束する。三宅だって検事が信用していないことをわかっているし、法廷で偽の証言を撤回することもない。それでも、声を失っていた三宅が最初に話したのは、彼女を「信じる」といった検事で、6巻の、裁判最終日の前日に、話がしたいと思ったのも検事である藤野だった。藤野では、三宅に嘘を認めさせることも、素直な心情を吐露させることもできなかったが、それでも彼女が三宅を「信じる」と決めて話を聞いたから、少しずつ三宅の行動も変わってきた。そして、藤野ができなかったことを、神原和彦が完璧にアシストしている。三宅に「嘘を吐いていないか」と正面から糺すことができたのは、神原だけだった。そして、誰もが三宅の行動に眉をひそめ、浅井松子を除いて彼女の心情を慮らなかったのに、神原は彼女の心情を思い遣り、大出達の悪事をつまびらかにし、彼女の受けた傷を正面から代弁した。

三宅の言い分を「信じる」ことを優先した藤野は、三宅の嘘を糺し、その上で感情に寄り添うことはできなかった。しかし、藤野がいなくては、三宅は釈明の場を与えられなかった。検事、弁護人、どちらが欠けても彼女の孤独に手が届かなかったはずで、これが本作で繰り返しテーマとなっている「信じてもらうこと」の、さらにその先の可能性なのではないだろうか。

 

本記事の最初に引用した、大出家の顧問弁護士の風間先生の言葉。

誰かに言い分を聞いてもらい、信じてもらい、一緒に戦ってもらう経験。

誰もわかってくれないと閉じてしまった人が、人に信じてもらうことで、ようやく自分の意見を述べられるようになる。

三宅樹理は、藤野涼子に味方され、神原和彦に慰められ、やっと自分を縛っていた「嘘」から解放された。彼女が法廷で告発状の嘘を告白しなかったのは、彼女にはもうその必要がなかったからだ。

あたしの顔だ。樹理は思った。垣内美奈絵の顔は、あたしにそっくりなんだ。

あれは噓つきの顔だ。嘘をついて他人を傷つけ、自分も傷つく人間の顔だ。

そして何もかも取り返しがつかないと、絶望している人間の顔だ。

―それがあたしの判決だよ。藤野さん。

新潮文庫「ソロモンの偽証」6巻 P216より一部抜粋)

 

 信じてもらったその先で、彼女は自分の過ちを認め、自らに判決を下した。

 今更嘘を撤回したところで、自分の無二の友人であった浅井松子は生き返らない。いつも自分を信じて受け止めてくれた存在は、自分の嘘のせいで死んでしまった。だから自分の嘘は、もう撤回する意味はない。一生抱えなければならない悔いを自分に課した。

そして、裁判の最終日、神原和彦の告白の日。

三宅樹理が、最後の最後でもう一度「嘘」の告白をした場面。ずっと自分を守るためにつき続けた嘘を、他人のために使ったことは、彼女の成長にほかならない。

柏木卓也を死に追いやったのは自分だと告白する神原を三宅樹理が庇ったのは、彼女を救ってくれた神原への感謝だけでなく、共感ともとれる。誰よりも、友人を死に追いやった自覚がある彼女だから、「あなたは悪くない」と神原に言えた。これは、裁判の最後で反対尋問をした野田健一が、彼にかけた言葉ともリンクする。両親を手にかけようとした、強い殺意を持ったことがある野田だから、神原が殺意を持って柏木卓也を死に追いやった訳ではないと主張できた。近い経験をした者同士が、相手を認め、思いやりかけた言葉は、他のどんな慰め文句より響くものだろう。

 

三宅樹理の最後の嘘は、「他人を思いやり、他人のために行動を起こす」という勇気のあらわれだ。

信じてもらったから、自分の意見を言えるようになった。

そしてその一歩先の勇気で、他人のために行動できるようになった。

 

 

彼女の成長は、誰であっても信じてもらうことで、その先の可能性が開けるという救いを物語に齎してくれる。

柏木卓也は、信じてもらえなかった、人を信じられなかった場合の三宅樹理かもしれない。美術の先生、クラスメイト、両親や兄、そして神原和彦。どこかで、歯車が嚙み合えば彼は生きていられたかもしれない。邪悪な印象さえ与える彼の本性は、助けを求める小さな怯えたただの少年だったのではないだろうか。

 

「もっと早くに、柏木君の葛藤が解けるように、悩みが軽くなるように、 誰かが何かできたんじゃないかという話し合いをしました。それはその、他所の誰かじゃなくて、俺らも含めて」

 新潮文庫「ソロモンの偽証」6巻 P451より一部抜粋)

 

ずっと、裁判を聞き続け、沈黙を守ってきた陪審員たちの判決。

もっと早くに何とかできたかもしれない。自分が声を掛けていれば、変わったかもしれないという真摯なことばは、確かに裁判を締めくくるには相応しい。何の変哲も捻りもない素朴なことばだけど、すとんと心に落ちた瞬間だった。

 

 

以上、ソロモンの偽証感想後編でした。

ソロモンの偽証検証_【前編】隠蔽と開示

ソロモンの偽証、新潮文庫1~6巻、読了しました。

 長いので、2回に分けて感想を書きます。

 

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

 

最初に、簡単にあらすじと登場人物について簡単に紹介します。

 

あらすじ

クリスマスイブからクリスマスへ移る未明、14歳の中学生が学校の屋上から転落死した。不登校だった彼は、不幸な自殺なのか、事故だったのか、それとも…。様々な憶測が流れるなか、一旦は自殺として片付けられ鎮静化していた事件は、突如届いた告発状により一転騒動を巻き起こすことになる。

事件のはじまりは一人の中学生の転落死。城東第三中学校関係者へ匿名で出された告発状には、彼の同級生3人が屋上から突き落としたと書かれており、学校内外で不良として有名だった3人組を疑う声も大きく、マスコミも動き次第に事態は収拾がつかなくなる。そんな中、事件当時の中学2年生のクラスメイト達は、自分達で真相を掴むため、‟学級裁判”を開廷することを決意する。

 

【あらすじ補足】学級裁判

 学級裁判といっても、中学生のお遊びとは思えないほど本格的に、5日間の公判ですすめられる。柏木卓也の死因を探るため、被告人大出俊次を訴える検事と、彼を弁護する弁護人、判事、廷吏、陪審員を元2-A生徒(と一部有志)から選定し、証人喚問を軸に裁判を行う。検事も弁護人も、独自に事件の調査をすすめ、大人達を巻き込んで証人を見つけ、法廷で論戦をかわしていく。当時の2年生のクラスメイトから始まった裁判は、教師や校長、保護者、記者や警察など、学校内では収まらず、さながら本物の‟裁判”のように証拠を探し求め、真偽を争うことになる。被害者は本当に殺されたのか。自殺だったのか、事故なのか。学校が、警察が混乱を抑えるためとして隠し、終わらせてしまった事件の真相を、中学生が見つけることはできるのか。

(下記、学級裁判の相関図が載っているので、下の登場人物紹介と照らし合わせてみるとわかりやすいかも)

www.shinchosha.co.jp

 

登場人物

【城東第三中学校 元2-A組】

柏木卓也…クリスマスイブの深夜、学校の屋上から墜落死した少年。不登校で他の生徒との交流が薄い少年。

藤野涼子…学級裁判の発案者で検事を務める。気が強く曲がったことが嫌い。父が警視庁捜査一課の刑事。

野田健一…柏木卓也の遺体の第一発見者。学級裁判で弁護側助手を務める。一見気弱な少年。

三宅樹理…大出達が柏木卓也を殺した現場を見たと訴える告発状の差出人。酷いニキビをからかわれ、大出達からいじめを受けていた。

浅井松子…三宅樹理の友人。三宅と一緒に告発状を出すのを手伝った。

大出俊次…柏木卓也殺害の容疑をかけられている。学内外で悪名高い不良。

井口充/橋田祐太郎…大出俊次の腰巾着。大出とともに柏木卓也殺害の容疑をかけられている。

井上康夫…学級裁判の判事を務める優等生。理屈っぽく負けず嫌い。

山崎晋吾…寡黙な中学生空手家。学級裁判の廷吏を務める。

【私立東都大学付属中学校】

神原和彦…柏木卓也の小学校時代の友人。中学は別だが同じ塾に通い、交流が続いていた。志願して学級裁判の弁護人を務める。

【学内関係者】

森内恵美子…元2-Aの担任教諭。事件後、城東第三中学校を辞職。

津崎元校長…元城東第三中学校の校長。事件騒動の責任を取り、辞職。

【学外関係者】

 茂木悦男…テレビ局の記者。三宅の出した告発状を入手し、柏木卓也事件を報道する。

佐々木礼子…城東警察署少年課の刑事。大出達を何度も補導している。

垣内美奈絵…森内恵美子の隣人。郵便物をあさり、森内宛てに届いた告発状をテレビ局に送り付ける。

 

 

〇前編テーマ序盤_隠蔽

Ⅰ部:事件

Ⅱ部:決意

Ⅲ部:法廷

文庫全6巻にわたる大長編は、Ⅰ~Ⅲの3部構成になっている。

そして本作の最大の見せ場である‟学級裁判”は、実は第Ⅲ部(5冊目)からはじまる。

ではそれまで、4冊もかけて何を描いているかというと、「柏木卓也の死」によって炙り出された数々の事件、各家庭の問題、そして学校の、警察の、大人達が生きる社会による‟隠蔽”による混乱の様子である。

 ある少年の不幸な死を切っ掛けに、水面下で抑え込まれてきた様々な問題が噴出していく。大出達の暴力的で悪辣ないじめ、それを看過してきた学校や警察、閉じられた家庭内の暴力、責任を一人に押し付けて解決を図ろうとする事なかれ主義。事件が学校から離れていくにつれ、さらに広がる問題の嵐。浮気による離婚の強要、社会的地位を笠に着た犯罪のもみ消し、テレビ局員のパワハラ等…。学校や警察は、事件性のある現場ではなかったこと、柏木卓也の両親が自殺と考えていること、告発状に根拠がないことから、子ども達に混乱を与えないことを最善と考え告発状を隠蔽した。しかし、隠蔽した筈の一通の告発状がテレビ局に届き、報道を観た保護者や社会は、学校の隠蔽体質に激しく反発し、事件は様々な憶測にまみれ、再び脚光を浴びることになる。特に、暴行傷害にまでエスカレートしたいじめに遭った被害者の絶望や憎悪、自身の不幸に引きずられて他人を酷く妬み、犯罪へ手を染める女性の狂気、夢を語り子どもを見ようともしない親へ殺意を持つ中学生、…。生生しい‟憎悪”と、それに気が付かない鈍感な‟他人”のコントラストが冷え冷えとしていて、むしろ柏木卓也の事件をも霞ませてしまうほどだ。

真相の究明が進まぬなか、隠蔽せざるを得なかった者達の苦悩と隠されたことへの怒りを訴える者達の泥仕合が延々と続いていく前~中盤。「告発状を隠蔽する」という一つの行為は、いじめを見て見ぬ振りをしたこと、子どもを侮り向き合わなかったこと、抑え込まれ無視されてきた‟声なき声”をまた無視するという象徴にも思える。

 

〇前編テーマ中~終盤_開示

さて、ここで前編テーマのもうひとつ、開示について。

前半が隠蔽により起きた混乱を描くのに対し、中~終盤で描かれるのは、学級裁判という場による‟開示”だ。

大人達の様々な思惑、保身だけでなく子どもを案じるが故に出た隠蔽という選択は、漏れない秘密はないと言わんばかりに、あちこちに漏れて悪い結果を次々に招いてしまう。どこまでも元2-Aの生徒を、子ども達を蚊帳の外へおこうとする大人達、子どもを利用して利益を得ようとするテレビ局、ヒステリックに騒ぎ立てる保護者…。噂と憶測で振り回される学校生活にしびれを切らし、ついに元2-Aの生徒、藤野涼子は「自分達の手で真相をつかみ取ろう」と決意する。

大人達が行った‟隠蔽”とは逆に、すべてをつまびらかにして、傍聴を許す‟裁判”という好対称のやり方は皮肉が効いている。収拾のつかなくなった事態を一度リセットし、すべての人に情報を開示することで、密談や隠蔽ではなく公開討論で真相を明らかにするという大胆な試みは、果たして成功するのか(詳しくは後編で)。藤野涼子の決意に応えるように、徐々に広がる理解と支援の輪が希望を灯していく中盤。バラバラになってしまった生徒が、大人達が裁判をいう場を通して少しずつ手を取り合うようになっていく。裁判を通じて、柏木卓也の事件だけでなく、過去なにが起こっていたのか、なにが無視されていたのか、埋もれてきた数々の事実を掘り起こしていく作業は、参加する人々の心を少しずつ変えていく。対立と争いを象徴するように思える‟裁判”が、人と人の関係を修復し、絆をつくっていく中~終盤は、重たく暗鬱だった前半の展開を裏返し、喪失からの再生を思わせる。

 

 

〇感想

本当に、この小説の見どころはなにより‟学級裁判”なので、未読の人はぜひ長い4巻にめげず、5巻にたどり着いてほしい。子どもだからと自分達を遠ざけ、勝手なことを言って振り回す大人達への怒りを力に変えて、自らの手で真相を見つけようとする中学生の反逆。そして、その中に隠された子ども達の抱える煩悶、葛藤…。彼らが勇気を持って立ち向かい、真摯に事件へと向き合って成長する姿は、自分の子ども時代の鬱屈を、後悔をすこし和らげてくれる気がする。さすがに、中学生にしてはしっかりしすぎているという違和感はあるものの(フィクションなので楽しめると思えばよいかと)、もし自分が中学生のとき(或いは小学生、高校生のとき)、大人への強い違和感や反発を、こんな風に昇華できていたらと空想し、読んでいて羨ましく痛快に感じる。楽しい思い出もあれど、窮屈で抑えつけられていた‟子ども”時代、庇われ蚊帳の外に置かれていた子ども時代、小説のように自分で立ち上がり、なにか為すことができていたら、学校はもっと居心地の良い場所に変わっていただだろうか。

 

 

以上、前編感想でした。

次回後編は、学級裁判の行方ともたらしたものについて。