本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

MIU404最終回記念。あしたの分岐点

すぐそばにある分岐点。

誰かの最悪の事態が起こる前に、なにができるだろう。

 

9月4日最終回だった、TBSドラマMIU404。

もう来週金曜から観れないのか…と思うとロスを感じるけれど、ずっと過去の世界線で描かれた物語が‟現在”に着地し、未来へと繋がっていく希望を見せるラストは、すっと胸に落ちてきて思ってたより酷いロスにはならなかったのが意外。今日もどこかで機捜404コンビが街をパトロールしてくれている気がする。

 

(以下、最終回までのネタバレを含みます)

最終話。九重は機捜から外され、陣馬さんは違法ドラックの工場から逃走したトラックにひき逃げされ意識不明の重体、久住を追わず病院を目指した志摩は判断を悔やみ続け、伊吹はそんな志摩と噛み合わず今までの信頼関係に揺らぎが出てしまう。そんななか、桔梗隊長はこれまでの責任を問われ、機捜の隊長を解任されてしまう。久住がまんまと逃げおおせるなか、満身創痍の機捜メンバー。最終話なのにバラバラになってしまった機捜。姿も見えない敵にこのまま逃げられないように、志摩は伊吹に黙ってRECに協力を仰ぎ、九重のコネを利用して久住を追いかけ始める。どう見ても不穏な展開にハラハラする。

 

…ここで、まさか1話で志摩に盗聴された伊吹が、志摩を盗聴し返すのは全然予想していなかった。相棒を巻き込まないように、自分だけが泥を被り単独で久住を捕まえようとする志摩を、ここで伊吹が出し抜く展開にゾクゾクした。でも、確実に1話と違ったのは、2人とも相棒を‟信頼していない”のではなくて、大事な相棒を間違った道に行かせないために動いていたこと。志摩は伊吹を突き放すことで守ろうとし、伊吹は志摩の様子を心配して、未然に最悪の事態を防ぐために一人で久住に会いにいった。互いを想うからこそ離れて行動した11話。1話から信頼関係をすこしずつ築き、6話、8話で互いの傷を知り絆を深め、9話で見事‟最悪”を防ぐことができたバディが、11話で改めて単独に行動する。これが吉と出るのか凶となるのか、盗聴から船へのシーンは手に汗握るハラハラ感だった。

久住と対峙したクルーザーのシーン。いきなり乱闘になるかと思いきや、「話がしたい」と持ち掛けた伊吹。そういえば、このドラマはいつもそうだった。

 

「話したくない」「顔も見たくない」と同僚に言われ続けた伊吹。

逃走に手を貸し、加々見の話を聞こうとした田辺夫妻。

重傷を負いながら逃げる青池の話を聞きたいという伊吹。

伊吹を唯一信じてくれたガマさん。

「この国に来るな」と留学生に叫んだ水森。

かつて相棒を失った志摩に、香坂の最期の想いを届けた伊吹。

九重の「全部聞く」。

伊吹と一切の話を拒むガマさん。

相手によって全く違う身の上話をする久住。

意識不明の陣馬さんに話かける九重。

盗聴した志摩の言葉を最後まで聞かず、走り出した伊吹。

 

届かなかったことば、無視され聞いてもらえなかったことば、聞きたい、教えてという相手を想うことば、嘘で固めた上辺のことば、届いてほしいと祈るようなことば。話したい、話せない、聞きたい、聞こえない。

話すことは、相手を知るための第一歩。

徹頭徹尾本音をはぐらかし、対等な話を拒む久住に対し、伊吹は「話がしたい」という。陣馬さんを重傷へ負い込み、数多の人生をもて遊ぶように狂わせてきた久住を‟許さない”と言いながら、なお対話を試みようとする。衝撃的なのは「許すかどうか話して決める」という台詞。警察だからとか、陣馬さんのことを許せないからとか、突っ走って久住に会いに来たのではないのだ。会って‟話をして”久住を知り、それで身の振りを決めようというのか。グラグラと揺れ動く境界線が、この後の更なる衝撃の展開を裏付けていく。伊吹もまた揺れているのだ。

 

元警察官で、伊吹が誰よりも信じていたガマさんですら殺人という許されざる罪を犯した。「信じたかった」加々見は罪を犯していたと知り、ガマさんの絶望を目にして、ハムちゃんに何かあったら絶対に許せないと怒りを燃やしてきた伊吹は、自分が‟久住の罪を許せるか(警察官として真っ当に逮捕できるか)」船上で見極めようとしていた。

船の上、動かない地面ではなく、絶えず揺れ動く船内というのが、揺れる伊吹の心とシンクロする。小憎らしいくらい揺らがない、他人も自分もどうでもよいという久住と好対照で、この船のシーンはとても鮮烈だった。

話を聞き「許すかどうか決める」と言った伊吹に対し、久住は「お前になんでそんな権利があるのだ」と投げ返す。神様でもないのに、と。これは、出所しても何度も何度も罪を繰り返す犯人を説得し続けたが予想もしない反撃に遭ったガマさんのケースとも似ている。罪を悔い、反省して社会に戻ることを求める警察と、その‟社会”に許してもらおうと思わない者たち(社会から裁かれるのではなく、逃げ続けて出し抜こうとするトランクルームの指名手配犯も、こちらの部類か)。

警察の、社会のルールを真っ向から対立し、「許しなど請わない」という者たちに、どう接するべきなのか。耐えがたい攻撃に遭った場合でも、‟清く正しく”警察官として、真っ当な社会の一員として接することはできるのか。警察の正義を妄信する訳ではなく、かといって自分の意思のみをつきとおし久住を憎むのではなく、話をして境界を、分岐をどちらに進もうかと思案する伊吹は、なんと真摯なのだろうと思う。

どちらかに振り切ってしまえば楽なのに、相手を理解しようとし、ギリギリのラインまで歩み寄ろうとする。久住は傲慢と思ったかもしれないが、これこそ志摩の言った‟伊吹の優しさ”なのだとようやく理解した。

 

この後のシーンの衝撃は、最終話を観た人たちの共通認識と思うけれど、伊吹と志摩が‟もしも”の最悪の事態を招かずに済んだのは、2人がバディとして信頼してきたからとか、警察官の良心を優先する心があったからとかではなく、きっと「そういう分岐を進めたから」なのだと思うとゾッとする。もし片方が命の危険に曝されていたら、片方が理不尽に命を奪われていたら、罪の境界を越えていた未来はあり得た。それまで積み重ねてきた時間も努力も、一瞬にして奪われてしまうことがある。久住が言うように、「神様の指先ひとつ」で運命など一瞬で塗り替えられてしまう。そんな残酷なことは、わたし達が普段忘れてしまっていても、目を背けていても、毎日どこかで起こり続けている。10年前、泥水、…。2011年のあの災害を思い浮かべた人はきっといるだろう。そして、その災害を普段忘れて何事もなかったかのように生きている自分達と、まだずっと苦しむ人がいることを思い出したかもしれないし、思い出す記憶すらあやふやだったかもしれない。思わせぶりな示唆の多いクルーザーのシーンは、‟忘れる”‟消える”ことへの警鐘などではなく、他人の身勝手への絶望か、憎悪か。高見の見物で‟悲劇”を鑑賞し、そして忘れていった者への皮肉だったのか。正直、このシーンはまだ消化しきれないように感じる。

 

しかし、伊吹と志摩は境界を越えなかった。九重の祈りに応えたかのように目を覚ました陣馬と、陣馬の目覚めを知らせた九重、何度も何度もメッセージを受信したスマホが震えて落ち、伊吹の目を覚まさせる。2人とも生きている、最悪の夢はもう脱したから、再び2人は動き出す。九重がメロンパン号で迎えに来て、指揮を桔梗隊長がとり、バラバラだった機捜が息を吹き返す。悪夢から一転した正のピタゴラスイッチは、逃げおおせた久住を再び捕捉する。ここで見つかった久住は「川を進む屋形船」の中。対する機捜は、橋の上から追撃する。もう迷うことのない機捜は、境界(川)をどちら側にも行かず逃げおおせようとする久住を捕まえる。2つの境界を結ぶ橋から機捜が来るという演出がまた効いている。

 

久住の命運を分けたのは、何だったのか。

積み上げてきた信頼で、桔梗隊長の指揮、陣馬さんの目覚め、3人のメロンパン号で久住を見つ出した伊吹達と、一人で立ちまわり、使い捨てにしてきた「仲間」がドラック漬けであったせいで助けを呼べなかった久住。これまで積み上げた時間が、信頼が、小さな正義達がようやく勝利した瞬間なのだろう。

 

小さな正義を一つ一つ拾ったその先に、少しでも明るい未来があるんじゃないですか?

 

世界は今日も理不尽に満ちていて、積み上げてきたものも明日には奪われているかもしれない。

どんなに望んでも、失ったものは還らず許すことはできないかもしれない。

誰しも毎日分岐点にいて、その判断は些細なことで変わってしまう。

でも、だからこそ、毎日の小さな正義の積み重ねが、正のピタゴラスイッチを動かすかもしれない。

 

すぐそばにある分岐点。

誰かの最悪の事態が起こる前に、なにができるだろう。なにもできないかもしれない。

でも、その時は気が付かなくても、小さな行動が奇跡を起こすかもしれない。

間違えたら、またそこから。

 

いつだって、ゼロから一つずつ積み上げていこう。

綺麗ごとでない希望を見せてくれて、ありがとう。

MIUロスだけど、ロスじゃない。もうちょっと浸ろうと思う。

 

 

☟ これ予約した

 こっちも買おうかな…

 めっちゃ気になる!ディレクターズカット。冬のボーナスに期待。

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  • 発売日: 2020/12/25
  • メディア: DVD
 

 

#MIU404からアンナチュラル、或いはアンナチュラルからMIU404

暑くて、感染も気を付けて、なかなか外に出られなくて仕事とドラマと本とTL監視みたいなことを続けてしまう。

 

ここのところ、休日出勤残業続きであたまが疲れてしまい、あまり本が読めないのがつらい。感染拡大の影響で仕事がなくなるより随分恵まれているとは思うけど、36協定の範囲内くらいで、疲れ切る前に休みたいというのも本音。と、まあ、楽しくない愚痴と疲労のただなかで、最近すごい勢いでドラマにハマっている。

 

もう、本も読めないくらい疲れた、自粛にも暑さにも我慢が疲れた、なにもする気力が起きない自分に自己嫌悪、そういうときに、ドラマとか映像って効く。あまり映画は観ないし、ドラマなんてもっと観なかったけど、信じられないくらいハマってる。本とは違った方法だからこそ表現できる魅力がある。

 

 

#MIU404

この前も紹介したこのドラマ、8話観てまた心が抉られて…

(あらすじをもう一回説明するのは面倒なので、こちらか公式HPをどうぞ)

 ☟MIU404  公式HP

https://www.tbs.co.jp/MIU404_TBS/
伊吹と志摩が1話から互いを知り、過去を知り、未然に防げた事件と防げなかった事件で後悔を共有する。今までは伊吹が志摩を引っ張り上げる、が印象強かったけれど、8話のラストシーン、志摩が伊吹に手を差し伸べ、伊吹が自分で立ち上がるまでゆっくり寄り添うのが刺さる。引っ張り上げるのではなく、隣に立ち、手を握ったまま伊吹が自力で立ち上がるのを待つ。そのあとも、手を引いていくのではなく、歩き出した伊吹の背を優しく押してくれる。一方的に引っ張ったり引っ張られる関係ではなくて、互いが一人で立ち、片方が立ち上がれないときに側で支える、という、今までで一番‟相棒”という言葉がしっくりくるシーンでした。

 1話、4月の配属から煽り運転の追跡、2話でDV被害・パワハラに搦めた殺人事件、3話は上級生の不祥事に振り回され青春を奪われた学生、4話カジノで借金を背負い、マネーロンダリングの実行犯をさせられた女性の逃走劇、5話は外国人技能実習生達を巡る搾取の構造、6話悪意に踊らされ警察の良心を揺さぶられた志摩の元相棒の死について、7話トランクルームに10年間住み続けた指名手配犯、そして8話、定年まで警察官として勤め上げ、伊吹を導いた恩人の真実、…。

 回を追うごとに、1話からの流れがすべて独立していた訳ではなくて、精緻な伏線で彩られていたことに気が付く。過去起こったことすべてに意味があり、取り返しの付かないことと防げた事件の差は何か、丁寧に編み上げてくる計算されたストーリー構成と台詞回し、映像がキレッキレで何度も観返したくなる。

それにしても、DVにパワハラ、大人の都合で夢を奪われた学生、カジノにハマり人生を狂わされた人間、いいように搾取される外国人技能実習生、警察の正義に惑う警官、社会から逸脱し‟幽霊”となった犯罪者、罪を許せず自ら罪を犯した警官。社会的に弱い立場の人、突然被害者となった人、誰からも‟救いの手”を差し伸べることがなかった、自ら‟救いの手を取らなかった”人が、犯人であるのが苦しい。誰しも幸福で、衣食住が足りて、暴力や罪に足を踏み入れる必要がなければ罪は侵さない。ギリギリのラインで‟誰かが手を差し伸べてくれたか”、或いは‟差し伸べてられた手を取れる状況だったか”、そこが分岐点となる。タイトルにもなった分岐点、成川や青池が通過した道、2話犯人が逃げた道、随所に挟まれるピタゴラ装置(決まった道を通り、または道から落ち、または壊れて通れなくなった道)。‟道”のメタファーが凄く多くて、読み切れてない伏線の一つだと思うけど、そもそも機捜が毎日走り続ける‟道”が、多くの運命を左右する分岐点なのだとも読めて、まさにこのドラマにぴったりの演出だと思います。恩人のガマさんが悲劇に見舞われたのも自宅前の‟道”と言えなくもないか。桔梗の息子くんが志摩に修理を頼んだピタゴラ装置、この‟壊れた道”と‟自分で直すんだ”という台詞も意味深に思える。なにか「自分で壊してしまった、間違えた過去を自分で償う、修正する」っていう隠喩?まさかあの息子さんが悪い大人に利用されて桔梗さんがピンチになるとか…子どもが被害に遭う話は厭だなあ、と思うしまさかまさか。結局、盗聴器の目的もわかってないし来週がこわい。

もうひとつ気になるのが、5話がダイレクトにそうだけど、8話でガマさんの奥さんが言っていた外国のボランティアの話、度々‟外国人”というワードが挟まれていること。今では欠かすことのできない労働力であり、隣人であるのに距離を感じる外国人、なにか今後重要な役割になるのかな。

 

また8話に戻るけれど、8話の怖いところは、伊吹にとっての‟救いの手”であった恩人が、自らは救えなかったこと。人を救えた人間でも、悲劇や少しの狂いが生じれば、たちまち加害者になることもある。自らの手を罪から遠ざけてくれた恩人が救いようのない場所へ遠ざかってしまう、1話で感じた、そして志摩と積み上げた日々がつくってきた、煽り運転の犯人を捕まえ、学生たちを引き換えさせ、指名手配犯に引導を渡した実績による「最悪の事態になる前に止められる」という自負、それがこの8話で裏返されたという見事な演出。予定調和では終わらない冷たい現実を知り、物語の濃度が一気に増してきた感じがします。

恩人を止められなかった伊吹が「何ができた」「どうすれば防げた」と叫ぶシーンと、1話の「何かが起こる前に止められる、機捜ってすごくいい仕事だ」と言ったシーンが対比になっているのが切ない。それでも遣る瀬無さだけが残る訳ではなくて、後悔で蹲る伊吹に志摩が手を差し伸べる。前の相棒、香坂には差し伸べられなかった手を、今度は間違えないとばかりに揺るぎない手を差し出す(ゆっくりと手を取る間とか、複雑な、いくつもの感情を混ぜ込んだ表情とか、顔を照らす光とか、ドンピシャのタイミングで挿入される歌とか、そういうところ、映像ならではの強みを存分に活かしてきている)。過去1人では防げなかった悲劇を持った2人が手を取り合って本当の相棒となったことで、きっと最終回には、「ちゃんと防げる」「1人では無理でも、2人ならできる」ところを見せてくれるのではないかなあ、と思います。「諦めずに、公共や福祉に頼ること」だったり、「最後にひとつだけ」人を助けたり、絶望に落ちそうななかでも、救いの手を伸ばす人がいる、そういう小さな希望を灯してくれるので、重いテーマでも重く沈みすぎずに視聴者を掬い上げてくれる、きっと悲劇だけじゃない明日が来ると最後には示してくれるのではと期待してます。それにしても毎回面白くて困る。最終回後のロスがこわいこわい。

 

 

#アンナチュラ

 MIU404にドハマりして、以前ブームになっていたアンナチュラルが同じ脚本家の作品と知り、なんとなく気になっていたけど、ついに観ました。

Amazonプライムで観放題…このタイミングは嬉しすぎる。全く観たことなくて知らなかったけど、アンナチュラルの登場人物たちがMIU404に出演してると聞いて。そもそも、こんなに計算しつくされた脚本を書く人なら、絶対に面白いだろうなと思い1話観ました。

Amazonプライムビデオ

 https://www.amazon.co.jp/gp/video/storefront/ref=sv_atv_logo?node=2351649051 

 

二転三転して様相を変えていくストーリー、真実がどこにあるのか最後まで視聴者を離さない、やっぱり思い通り面白かった。しかも、前知識なしで1話を観てびっくり。2018年製作なのに「コロナ」というワードを連発してて、「うそでしょ??予言???」とびっくり。実際の今の状況とはだいぶ違うけれど、感染症の恐ろしさ、何より情報の隠蔽により感染が広がり、被害が増大したことを問題提起するこのテーマが、ピタリと世相に当てはまるような感じで恐ろしい。偶然とは思うけれど、このドラマは1話だけでも今、絶対、観る価値があると思う。

まだ1話しか観てないけど、ゆっくり楽しんで観てみよう。

 

MIU404からアンナチュラルを観るのも楽しいし、きっと先にアンナチュラル観てた人は、わたしとは違ったMIU404を観てるから面白いし、どちらから観てもお得な気がする。リンクする2つの違った世界を楽しめるなんて、贅沢な話だ。

MIU404語り

ここのところ毎週追いかけているドラマ。

単純に綾野剛が好きだから、っていうのもあるけど、偶に見る警察系のドラマの疾走感がピタリと感性に刺さる。

もう次は5話って、なんか早く感じる…

これ最終回になったらすごく寂しいと思う。コウノドリのときもすごく好きだったけど、綾野剛星野源のバディ感、なんというか安定感があって好き。

 

昨日は仕事が押してリアタイで観られなかったからいま録画で観終わり、3話「分岐点」からいよいよ核心に迫ってきた4話。メインキャラクター達もよいけど、毎回犯人、被害者、関係者…それぞれのストーリーがメインに各話つくられているのがよい。なぜそんな行動に出たのか、『犯人』と呼ばれる人達は、一体何を考え、思っていたのか。悲劇と暴力の合間に、ほんのひと匙の深い優しさが見えるこの演出の加減が、疲れた金曜日に効くような気がする。

 


【解禁】『MIU404』放送日決定!!スペシャルムービー

 

せっかくなので振り返ると、

1話「激突」

主人公タッグ、志摩と伊吹の初対面。奥多摩の交番から異動してきた伊吹は、常識破りの方法で志摩を怒らせ、相性最悪と思われる二人は危険な煽り運転を繰り返す車に接近する。真面目だが他人も自分も信じないと公言する志摩と、我が道を行く自由すぎる伊吹の凸凹コンビが事件を追っていく。

2話「切なる願い」

殺人事件の容疑者が逃走しているという通報を受け、志摩と伊吹のコンビ(機捜404)は容疑者が乗っ取ったとみられる怪しい車の追跡をすることとなる。なぜか逃げる容疑者に協力する夫婦、容疑者を無実だと信じる伊吹、そして容疑者を載せた車は逃げ続け、着いた先で明かされる真実とは。

3話「分岐点」

 いたずら通報事件が頻発する西麻布管内。通報は“通報したプレイヤーが警察から逃げ切ったら勝ち“というネット上のゲームのルールを模倣した愉快犯の遊びで、機捜は容疑者とみられる高校生を発見し、追い詰めていく。高校生たちは、廃部になった陸上部の生徒と判明するが、彼らはなぜいたずらに執着するようになったのか。

4話「ミリオンダラー・ガール」

 拳銃による殺人未遂事件が勃発し、被害者は約1億円をもって行方をくらました。被害者の女性は2年前の裏カジノ事件で摘発されたカジノに努める元ホステス。彼女はなぜ撃たれたのか、1億円もの金の由来は、そして逃げる彼女の思惑とは。2年前の事件に因縁を持つ隊長の桔梗は、必ず彼女を見つけると意気込むが…。

 

 

1話は伊吹の走りっぷり、凸凹コンビの噛み合わないけどテンポの良い掛け合い、そして煽り運転を止める豪快すぎるカーアクションと駆け抜けるような展開で、初回でぐっと視聴者の視線を釘付けにしてくるのは流石というか。

こんなテンションで、激しいアクションとテンポの良い展開で来るのかなと思いきや、2話以降で‟犯人たち”にグッとクローズアップしたストーリー構成になり、2話の「家庭内暴力からの逃走」3話の「連帯責任での廃部」4話の「カジノ債務者」と、追い込まれ、徐々に道を外れてしまう弱者たちを丁寧に描写する演出に切り替えてくるのがまたとてもよくて。

2話の犯人の震えた身体と激しい慟哭、3話の仲間と悪ふざけをしている高揚感と寄る辺を失った不安定さが同居する高校生の姿、4話の逃げる女性が見せた睨みつけるようでいて助けを求めているような強い眼差し。犯罪に至る過程、どこにも持っていけなかった感情を役者の言葉で、身振りで、眼で表現してくるのがぞわっとする。小説を読んでいてもよくあるけど、気が付いたら犯人の側に肩入れしたくなるあの感じ。

現代社会の目を逸らしている問題、追い込まれる弱者達を意図的に描いていて、特に4話の「警察に通報したところで、警察が次の仕事を用意してくれる訳じゃない」と吐き出し、借金に苦しみ犯罪に加担した過去に、苦しい以前の状態に戻りたくないと一人きりで逃げる演出が胸にささる。

 

すくい上げることができるときと、できないときと。

伊吹の優しさ、志摩の冷静さ、隊長の正義感、それぞれがベストを尽くしても取りこぼして掬えないときがある、完璧なハッピーエンドには勿論できないバランス感が絶妙。

5話以降、メインキャラクター達のなかでまだ明かされない伊吹の一面がどのように明かされるのか楽しみ。

 

 

あと、エンディングがよい。

米津玄師のなかでも特に好きかも。


米津玄師 MV「感電」

4~6月 自粛中読んだ本(と読んでない本)まとめ

突如はじまり、そして解除後も続く緊張感。

3月頃はまだ、こんなことになるとは想像していなかった外出自粛要請や商店の休業、緊急事態宣言、5月の宣言明け、そしてここ数日の再びの感染者の増大。

働き方も変わるなかで、否応なしに家にいる期間が長くなったこの3か月。てっきり読むものがなくなって困ると思ってういたのに、そうでもなかったので、この3か月で一体何を読んだのか、読まなかったのかをちょっとまとめてみました。

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①4~6月 読了本

「見えない都市」 I・カルヴィーノ

「十二人の手紙」 井上ひさし

「夏の災厄」 篠田節子

ブラックボックス」 篠田節子

「南洋通信」 中島敦

「李陵・山月記」 中島敦

パン屋再襲撃」 村上春樹

回転木馬のデッドヒート」 村上春樹

「愚行録」 貫井徳郎

閉鎖病棟」 帚木 蓬生

金閣寺」 三島由紀夫

ハムレット」 シェイクスピア

「李歐」 髙村薫著

 

②4~6月購入 読書中本

アメリカの壁」 小松左京

「居心地の悪い部屋」 エヴンソン、カヴァン他著

「言わなければよかったのに日記」 深沢七郎

「13・67」 陳 浩基著

 

積読

「息吹」 テッド・チャン

「三体」 劉 慈欣著

 

 

➡以上をまとめると、ここ3か月ほどで、読了本13冊、読書中4冊、積読2冊でした。

 

月4冊強ペースなので、思ったより読書が捗らなかったなという印象。

ただ、元々読もうかなと思っていた本を手に取ることができたので、そこはよかったです。

南洋通信、金閣寺、十二人の手紙、李歐、13・67は、読みたいなと思いながら手が出せていなかったので、多分コロナがなかったら今年読んでいたかは微妙です。どれも満足度の高い読書でした◎

 

ただ、想定外だったのが、なかなか長編を読めなかったこと。

積読状態の長い「息吹」や、待望の「三体」にまだ手が出せておらず、夏の個人的な課題本にしようかなあと思案中です。

先に読み始めた「13・67」が想定以上に好みだったので、割とゆっくり読んでいるのは響いているのかも。あと「金閣寺」とか「李歐」は、読んだ感想をどこかでまとめたり読書会で紹介したいですね。あ、でも南洋通信も笑えてよかったし、愚行録などさくっと読めて濃度の濃いミステリも、長編の箸休めになるしよいです。読み途中の「言わなければよかったのに日記」は、「楢山節考」の作者の授賞式時の心象や他作家との交流を描いたエッセイですが、これもまたとぼけた言い回しがクスッと笑えて面白い。シリアスな小説を書く真面目そうな作家かと思いきや、中島敦深沢七郎も、エッセイや手紙の内容が結構人間臭いというか赤裸々なのが印象が違って面白いです。

 

あと、予想外に以下の本と漫画に時間を費やしました。

④再読本

「骸骨を乞う」 雪乃 紗衣著

「捜神記」 干宝著

道教とはなにか」 坂出 祥伸著

 

「骸骨を乞う」は、いま別記事でも書いていますが、前から結構好きで。「彩雲国物語」本編より好きだと思います。なかなか記事にまとまらないけれど、なんとか書ききりたい。

そして何故今更、捜神記と道教の本を再読してしまうのか。小松左京の「アメリカの壁」に収録されている短編に「捜神記」の話が出て来るので、該当箇所を探すうちに気が付いたら再読。ついでに道教の本も一緒に読むと楽しいです。時間泥棒。

 

⑤漫画(一気読み)

スラムダンク(全巻) 井上 雄彦著

 

最近、画集が本屋に平積みされていたり、深夜帯にテレビで放送したりしているのが気になって、一気読みしてしまいました。スポーツ漫画、そんなに読まないですけどこれは面白いですね。迫力がありすぎて、ページを捲る前にちょっとためらうくらいドキドキします。

 

 

と、こんな感じの読書月間×3でした。

7月以降は、感染拡大が収まればいろいろ遊びに行きたいし、旅行や外出に本を持っていきたいし、カフェでの読書とか再開したいですが、職場もピリピリしているし、まだ難しいかな。

本ではないですが、10月にはずっと楽しみにしている辻井伸行さんのピアノコンサートがある(まだチケット取ってない)ので、なんとか収まることを祈るのみです。

 

でもまあ、自分が本を読むことを楽しめる人間でよかったなあとつくづく思いました。

本がなければ、外出自粛で余った暇を持て余して、イライラしてばかりだったのではと思います。本は偉大です。

【五十音順・おすすめ小説紹介】61冊目 中島敦

おすすめ本紹介、61回目。

 

コロナ禍の外出自粛で、思っていたよりも読書が捗っていなかったですが、緊急事態宣言下で、普段あまり手に取らない本を読んでみようと思い、中島敦に挑戦しました。

タイトルだけは知っていた南洋通信です。

南洋通信-増補新版 (中公文庫)

南洋通信-増補新版 (中公文庫)

  • 作者:中島 敦
  • 発売日: 2019/07/23
  • メディア: 文庫
 

 南洋庁の国語編集書記として、パラオ諸島に赴任した際の妻子に宛てた手紙を収録した『南洋通信』と他小編をまとめた一冊です。

中島敦は、今まで教科書に載っていた『山月記』しか読んだことはなかったですが、クイズ番組等で偶に南洋に官吏として赴任していた話が出るので、なんとなくこの本の存在は知っていました。

 

実際読んでみると、山月記の雰囲気とは全く違い、妻子に宛てた作家としてではない中島敦の姿を思い浮かべて新鮮な感じがしました。喘息の病に苦しみながら、ときに南洋の美しい景色を褒め、暑い気候に辟易し、子煩悩な父の姿も見せる。妻に宛てた日常の愚痴や子どもたちへの心配と、ときどき覗く不穏な社会情勢への警告。作家としての懊悩をチラリと見せつつも、あたたかな家族への眼差しが同居する。なんとも不思議な気持ちになる書簡集でした。

 

ただ、すこし可笑しかったのが、食べ物の話題の多さです。

バナナやパパイヤ、マンゴー、パイナップル等の果物は豊富で、パラオなんて南国のリゾートというイメージですが、実際のところ、中島敦が体験した南洋諸島は、食べ物に乏しくかなり難儀したようです。バナナ十二本がご飯代わりと言ったり、サツマイモばかり食べているとか、びっくりするような食生活を何度も書いています。

確かに考えてみれば、主な輸送手段は船で、島自体で採れる作物は果物やイモの類くらい。海が荒れて船が止まることもよくある、という状況で、美味しい料理を毎日食べる、という訳にはいかないでしょう。妻に宛てた手紙では、しょっちゅう食べ物の不味さに愚痴をこぼし、なにかにつけてビスケットを送ってくれるように頼んだり、届いたビスケットを重宝したと書かれています。ビスケットについて書いたくだりはざっと読んだだけで4か所もあり(よく読めばもっとあるかもしれませんが)、おかげで読みながらすごくビスケットが食べたくなりました。リッツとか塩気のあるものではなくて、分厚くてシンプルなビスケットが。まだ食べられてないですけど。

 

山月記など、中島敦の小説をこの後少し読んでみましたが、その、なんというか格調高い文章と、人間臭さに溢れた『南洋通信』のギャップにはすこしふふっと可笑しくなります。こんな文章を書く人も、食べ物に一喜一憂し、妻には弱音を吐き、ときにカッコを付けて、子どもの前では立派な父を演じる、そんなひとりの人間なのだと当たり前のことを感じます。

でも、流石に作家らしいというか、ただの家族に宛てた手紙なのに、ずっと読んでいたくなるような魅力があります。何気ない風景や日々の体験を綴っているだけでも、お年玉の話をするだけでも、なんとも言えない愛嬌を文章から感じます。

 

 

旅になかなか行くことが難しいいまの世の中。

南洋通信を片手に、美しいパラオ、南洋の島々を、ちょっと変わった視点から家で楽しむのはどうでしょうか。

※美しい情景はメインでないのでご注意を。