本の虫生活

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1,000冊の作品を読んでも、また貴方に会いに戻る

漫画が好き。

小説とか小難しいノンフィクションとかも好きだけど、漫画は他には代えられない魅力がある。華やかな絵柄、登場人物たちのくるくる変わる豊かな表情に心理描写、劇的な展開、濃い内容でもあっという間に読めてしまうスピード感。どれも好きで、早く読めて世界観に浸れるのが魅力だけど、早く読んでしまうのが勿体ない作品も多い。

 

少年漫画も少女漫画も青年系もお仕事系も、どんな漫画も読むのだけれど、100種類の漫画を読んでも1,000冊の漫画を読んでも、最後にはこの作品に帰ってくる。

 

 

 

もう何度も紹介している気がするけれど、ほとんどの本は読んだら手放すか、図書館等で借りて返してしまうわたしが、大切に保管している漫画のひとつ。

軽快なラブコメ、時代物、というと何となくよくあるパターンだと思うけれど、人間の機微の細やかさをここまで丁寧に織り上げている作品をわたしは知らない。

 

**あらすじ**

明治時代がはじまり、既存のあらゆる概念が塗り替えられていく劇的な江戸(東京)の街が舞台。大店の商家の娘菊乃は、女学校で学ぶことを目指し、旧弊な江戸から明治へと変わっていく風潮を歓迎している。…とはいえ、現代とは違い学問をする女、進歩的な考え方などまだまだ受け入れられない時代の過渡期に、自らの目的を達するため、菊乃は元忍びだという青年と偽装結婚することを決めた。元忍び、清十郎と名乗る青年と主従契約を結び、晴れて偽装の婚約者という身分で自由を謳歌する菊乃だが、外に出て様々な‟現実”を目の当たりにし、次から次へとトラブルに巻き込まれてしまう。厳しい現実と世相を知り、迷いながらも成長していく菊乃。菊乃を献身的に支える清十郎との距離も徐々に変わっていくが、『清十郎』を巡る巨大な思惑に翻弄され、2人の関係は破綻へと進んでいくこととなり…。

 

 

明るくじれったくキュンとするラブコメかと思いきや、逃れようのない歴史の重み、激動の時代に振り回される人々、『江戸』から『明治』に変わったという一言では済ませられない、その時代を生きる人々の叫びや葛藤や喜びを短い1話1話に繊細に織り込んでいく、人々の機微の描き方がとても心に響く。

 

主人公の菊乃は裕福な商家の娘であり、生活に困ることはなく、武家のように急な凋落や出世に振り回されず、時代が変わる最先端の街で自由に心躍らせる『恵まれた』存在である。外の世界に出て、自分が恵まれていること、それでも男性と同じようには扱ってもらえないこと、救いの手を受け取ってくれない相手がいること、不用意に人を傷つけ、そして自分も傷つくことを知り、打ちのめされても外の世界を見続ける彼女はとても気高く、眩しい。悩むし苦しむし後悔するけど、他人を知ろうとする心、自らを変えていこうと常に努力する思考と行動力。読みながら、こんなかっこいい女の子が現実で近くにいたら、尊敬するだろうか、嫉妬するだろうか、敬遠してしまうだろうか、と悩んでしまう。きっと離れてみていたら『恵まれた人間の傲慢な姿』に見えるかもしれない。でも、未来を想像して好奇心に瞳を輝かせる人が近くにいたら、世界はちょっと楽しく見える気がする。

それと、菊乃をずっと支える清十郎が、また最高にかっこいい。菊乃の前では非情な忍びの顔を隠し、隠しきれずとも彼女には暗い部分を見せないように、汚い世界から遠ざけようと献身する清十郎。菊乃の前では、捨てた筈の感情や未練を思わず露呈してしまい、冷めているのに菊乃にも、周りの人にも優しい眼差しを時折送る彼がたまらない。亀の歩みのごとき2人の関係は、少女漫画として読むと驚くほど遅い展開だけれど、相手を尊重して少しずつ、進んだり退いたりしている2人は微笑ましい。長くなってしまうし書ききれないけれど、主人公ペア以外の登場人物も魅力的で、薩摩出身の愚直な警官、会津の生き残りである武家の娘、土佐出身の姫を想う軍人、そして、市井を生きる『普通』の人達。それぞれに全く違う事情と人生があり、悩みや希望や絶望を持ち、人生が交錯していく。1話きりしか出てこない人物もなぜか心に残り忘れられない、そういう描かれ方をしている。

時代の所為、環境の所為、相手の所為、…。そうやって諦め、非難するのではなくて、憎むのではなく、希望へと変えていこうとができる『強さ』と『優しさ』が全編に溢れている。

わたしがこの時代に生きていたら、あまりの変化に、奪われたものに、心無い非難に傷つき、恨んでばかりの味気ない人生を送ったかもしれない。けれど、それは現代でも同じことで、感染症や経済の落ち込み、家族関係、職場の悩み。自分を取り巻く状況に疲れ、苛々する毎日を送っている。タグを見てこの漫画を思い出したとき、自分の狭量さと視野の狭さに、好奇心を失いつつあったことに気づかされた。時代の所為にするのは簡単だけれど、腐らず、諦めず、人を非難せず、なにか自分にできることは、したいことは何かと問いたくなった。人と関わりにくい世の中になったけれど、自分の為だけでなく、側にいる人の為に何かできないか、そう思ったことが久しぶりであることに愕然とした。

 

辛くて、もう投げ出したくなる毎日でも、すこしの癒しを齎してくれる。

それだけじゃなくて、好奇心をもって明日を楽しむ勇気を与えてくれる。

1,000冊の漫画を読んだ後でも、わたしはきっとこの作品に戻ってくるだろう。