本の虫生活

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コロナ禍の予言?『夏の災厄』読了

コロナ禍の予言ともいわれて、SNS等でにわかに話題になっていた篠田節子の『夏の災厄』 、手に入れることができたので読んでみました。

読書会に選書にもしましたが、もっと書きたくなったのでこちらにも載せます。

 

夏の災厄 (角川文庫)

夏の災厄 (角川文庫)

  • 作者:篠田 節子
  • 発売日: 2015/02/25
  • メディア: 文庫
 

 日本脳炎に似た、正体不明の感染症が東京近郊の小さな街で突如発生し、人々を恐慌に陥れる…。コロナ禍の私たちの状況を予言しているようだとして、SNSで密かに話題になった篠田節子の作品。

そういう触れ込みを見て読んでみて、想定以上の恐さに凍りつき、読まなければよかったかもと思うくらい戦慄しました。

「病院が一杯になって、みんな家で息を引き取る。感染を嫌う家族から追い出された年寄りたちは、 路上で死ぬ。知っておるか、ウィルスを叩く薬なんかありゃせんのだ。対症療法か、さもなければあらかじめ免疫をつけておくしかない。たまたまここ七十年ほど、疫病らしい疫病がなかっただけだ。愚か者の頭上に、まもなく災いが降りかかる……。半年か、一年か、あるいは三年先か。そう遠くない未来だ。そのときになって慌てたって遅い」

(「夏の災厄」角川文庫 篠田節子著 p29より引用)

 

撲滅されたはずの日本脳炎によく似た症状、しかも従来のものより遥かに感染力が高く、劇症を引き起こす恐ろしい感染症が流行するという未曽有の事態に、郊外の小さな街は、なすすべもなく地獄のような状況に追い込まれてしまう。病院は初期の患者の存在を握りつぶし、発生源や治療法は見つからず、感染源となる蚊は薬剤に耐性をつけて駆除しきれない。それに加え、唯一の策と考えられるワクチンは足りず、ようやく手にしたワクチンは、効果がない可能性が示唆されて…。打つ手打つ手が決定打になりえず、非常事態下でも行政の協力は鈍く、住民は次第に判断力を欠き、デマや犯罪が横行する。感染症に有効な策を打ち出せず、世界規模のパンデミックを引き起こしてしまったいまの現実と似通う描写に、ちょっと具合が悪くなりかけました。

 本書では、行政や病院の対策を座して待つのではなく、自らの手で地域を救うため、一市役所の職員や地域の医者、看護師達が感染症、そして社会に対して立ち向かい、次第に謎の感染症の真相へと近づいていきます。そんなミステリのような要素がありますが、恐ろしいのはそれが‟謎”ではなかったという真実です。一部の関係者はずっと知っていて、新たな感染症の原因も、その対策も、考えることができたのに利権や保身のために黙っていた。すでに感染症による犠牲者が出て、収束も見込めない状況でも、会社の利益や自らの権威のため、情報を公開せず手をこまねいている。深刻な被害が起きても、しょせん‟東京に近い”郊外でのこと、自分には関わりないこととして無関心な人々の描写が、ぞっとするほどリアルで、非常事態でも自分達の政治闘争や、利権を守るための法案の採決を行おうとする日本社会に重なります。

小説では地方の小都市のパンデミックでしたが、現実は日本どころか世界中を巻き込んだ大災厄と言って過言ではない事態になってしまいました。けれどその一方で、恐れと慣れが混在し、脅威は去っていないまま、ずるずると日常へと戻りつつある現実がこわい。本当にこれでいいのかと二の足を踏む恐怖心と、体制に従わざるをえない諦念が混ざり合って、何ともいえない厭世観が沸き起こりつつあります。

だから、本当にこの言葉が突き刺さります。

人々は決して病気などのために、昭川市を捨てない。脳炎発生から二カ月が過ぎてみれば、サラリーマンは普段通りに通勤し、農業従事者は畑に出て、主婦は最低限の買物をするようになった。人間の緊張感や注意力などというものはいつまでも続かないし、自分だけはだいじょうぶ、そんなにひどいことにはならないだろう、と楽観視して普段の生活に戻ろうとする。しかしその裏側で、どうせ人間、いつかは死ぬのだ、という無力感が、毒を含んだ淡い煙のようにゆっくりと町に広がり、人の心に浸透し、内面からむしばんでいく。

 (「夏の災厄」角川文庫 篠田節子著 p481より引用)