おすすめ本紹介、50回目です。
この記事では著者の五十音順に、わたしのおすすめ本を紹介しています。
今回は高村薫氏から。
銀行の地下に眠る6トンの金塊を盗み出す計画を立てた男たちのアクション劇。大阪の街の匂いまで感じさせる情景描写と臨場感あふれる強盗計画の詳細、そして飛びぬけた人物描写が圧巻です。一番驚いたのは、本作が著者の実質的なデビュー作であることでした。
大胆不敵な泥棒劇は小説から映画、マンガやアニメなど幅広い分野で愛されています。わたしの場合は大泥棒ホッツェンプロッツに始まり、怪盗キッド、アルセーヌルパンに子どもの頃から夢中になり、伊坂幸太郎作品で活躍する泥棒たちにハマり、ミステリに登場する魅力的な悪役にずっと心惹かれていました。
でも、本作に出て来る泥棒たちは陽気で不敵な人間ではなく問題を抱えて悩み苦しみ葛藤する、危うさをはらんだ人物でした。犯罪者側から描いた小説は数多くありますが、その人間性を深く掘り下げた小説として、本作は忘れられない強烈な1冊でした。サスペンスとしての魅力、エンターテイメント性としてはこの間紹介した高野和明氏の『ジェノサイド』なんかが好きですが、登場人物の魅力は本作の方が感じました。犯罪小説、アクション小説であり、様々な側面を持ちながらただのエンターテイメントになっていないところが著者の力量を感じさせます。
この小説の魅力はたくさんありますが、ここでは特に2点を挙げておきます。
1つ目の魅力は、物語の土台を担う『情景描写』です。
冒頭から引き込まれました。
双眼鏡の二つのレンズの中に、自分の目を感じた。自分の眼球と、そこから額の奥へ広がる神経の動きが分かった。こめかみがちりちりし、耳の付け根が微かにひきつっている。《世界を見てる》と幸田は思った。
(新潮社「黄金を抱いて翔 べ」p7より引用)
三人称では淡々と紡がれる文章は、舞台である大阪の街を写実的に表現していますが、それだけでなく視線の主の『熱』を感じさせる情景描写が物語に立体感を醸し出しています。主人公の心情の変化とともに情景描写が色彩豊かなものになっていくのが少し切なくも鮮やかで印象的でした。とはいえ、変電所や電気系統の破壊工作等の計画の描写はかなり正確で、しっかり考証がされているようで感傷的になりすぎないバランスを感じます(わたしは前職で電気・通信設備を結構見てきたのですが、特に違和感を感じずに読むことができました)。
2つ目は『登場人物』のリアルさです。
金塊強奪計画の発案者である北川、突入班として誘われた主人公幸田、システム破壊担当の野田、爆発物に詳しい謎の青年モモ、コンサルタント件エレベータ制御担当の岸口老人、そして途中から参加した北川の弟、春樹。飛び入り参加の春樹をのぞけば、最少人数で無駄のない布陣、緻密な計画により序盤からスムーズに計画は動き出すかのように見えます。しかし、主人公たちの集団は冷静なのにどこか退廃的な気配を漂わせ、粗暴さが見え隠れします。やがて、それぞれの抱える過去や秘密が順調だった計画を大きく狂わせていきます。奇妙なところでつながる点と点、過去と現在が二重写しのように符号していく展開はミステリとしても十分楽しめました。
人間嫌いでいつも冷めた目で世間を見つめる幸田が、大きな秘密を抱えるモモと関わり成長するドラマが物語の見所ですが、それ以外の登場人物たちも脇役と言えないくらい存在感がありました。妻子持ちで外面と乖離の大きい北川、虚栄心と臆病さを併せ持つ不安定な野田、ヤクザのようであり賢者のようでもある老人、純粋さと闇を持つモモ、…。それぞれのアンバランスさがひどくリアルでした。
十代の頃にはじめて読んだときは、硬い文章で少し読みにくいとか、感情移入しづらい印象を持っていて、あまりこの小説の良さがわかりませんでした。
でも、出会っていてよかったと思います。大人になって読み返すと全く別の物語のようで、精神を揺さぶる圧倒的な読書になりました。こういうとき、年を取ってよかったと感じます。
読んだことがある人も初見の人も、とにかく一度読んでみてほしいイチオシの1冊です。