本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

【解答編】夏は読書の季節

13日の金曜日

 

何もないとわかっていても、来るたびにちょっと特別感のある13日の金曜日は、ちょっと得した気分になります。

 

それはさておき、今日は前回upした記事の解答編です。

完全に趣味で選んだ、しかもランダムに抜き出した箇所のクイズだったので、正直難しすぎたと思いますが、読んだ本から好きな場所を抜き出すという作業はやってみて楽しかったので、またやろうと思います。

それでは、答えの発表です。

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車輪の下 ヘルマン・ヘッセ

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

 

 色んな出版社から出ていますが、わたしが引用したのは新潮社です。

他の訳と読み比べしたことはないですが、ちょっと気になりますね。

 

②月と六ペンス  サマセット・モーム

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 こちらも新潮文庫から引用しました。

長い間読んでいなかった名作で、想像していたよりずっと読みやすくてぐっと引き込まれる本でした。

 

③タイムマシン ウェルズ著

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

 

 SFの先駆者、といえばやはりウェルズ。

タイムマシンを最初に小説に登場させた想像力に脱帽です。

 

④蠅の王 ウィリアム・ゴールディング

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

 

少年少女の遭難もの、冒険譚はワクワクします。

明るい冒険譚より、これとかルナ・ゲートの彼方とかが好きです。

 

⑤春にして君を離れ

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 読書会にも持って行った、近辺で今年流行りの本。

奇想天外な展開や謎はないけれど、じわりと面白い本でした。

 

富嶽百景 太宰治

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

 

 太宰作品のなかでもかなり好き。

冒頭でいきなり富士山をけなすのにはびっくりして笑いました。

 

⑦河童 芥川龍之介

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 

河童を最初に読んだ衝撃ときたら…。

ついつい何度も読み返しています。

 

沈まぬ太陽 山崎豊子

沈まぬ太陽(一) ?アフリカ篇・上?(新潮文庫)

沈まぬ太陽(一) ?アフリカ篇・上?(新潮文庫)

 

 御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故を題材にした小説。

でも、最初はアフリカ編からはじまります。

 

 神の子どもたちはみな踊る

神の子どもたちはみな踊る

神の子どもたちはみな踊る

 

 かえるくんの話が好きです。

 

⑩国語入試問題必勝法 清水義範

国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

 

 これを読めば大学入試もらくらく突破!(大嘘)

ちょうど受験生のときにこれ読んでました。この短編集、最後のがまた面白いんです。

 

 

以上、解答でした。

 

【問題編】夏は読書の季節?

読書の秋という言葉をよく聞くけれど、わたしにとっては夏の方が読書界隈の盛り上がらいを感じます。

 

夏休みの読書感想文に合わせた新潮文庫の100冊、集英社のナツイチ、角川のカドフェス(フェア名はこれで合っていただろうか。ちょっとうろ覚え)があって、書店に活気を感じるのは、やはり秋より夏です。

秋は涼しくなってちょうどいいかなあと思いますが、何故か毎年記憶がないほどあっという間に過ぎて気が付いたら年末なので、今年はちょっと意識して『読書の夏』を過ごしました。いつもはさっと読み流してしまう本から気になるフレーズをいくつか選んだので、ご紹介します。

 

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今年の夏に新たに読んだ本、そして読み返した本のなかから、上記の写真10冊を選びました。

フレーズだけ抜き出して掲載するので、わかった人がいたらコメントやTwitterの方にでも書いていただいてもOKです。答えは【答え合わせ】記事に載せようと思います。

では、紹介していきます。

 

①ヒント:海外小説、読書感想文向けにもよく選ばれる?

自然に造られたままの人間は、計ることのできない、見通しのきかない、不穏なあるものである。それは、未知の山から流れ落ちてくる奔流であり、道も秩序もない原始林である。原始林が切り透かされ、整理され、力でもってされねばならないように、学校も生まれたままの人間を打ち砕き打ち負かし、力でもって制御しなければならない。

 海外小説で書名を知らない人はいないくらいの有名な作品ですが、ドキリとするような厳しい表現と柔らかい心情描写の緩急の付け方が上手くて、正直して想定よりも面白かったです。

 

②ヒント:海外小説、タイトルがおしゃれ

 「奥さまは、すべて水に流して一からやりなおしたいとお考えです。あなたをとがめだてするつもりはまったくないとおっしゃっていました」

「くだらん」

「ろくでなしの人非人と思われてもいいんですね?奥さまとお子さんが物乞いをするはめになってもいいんですね?」

「知ったことか」

わたしは次にいう言葉に重みを持たせようと、少し黙った。そして、一語一語ゆっくりいった。

「あなたは、最低の男だ」

 こちらも有名な作品ですが、何となく難しいとか読みにくいというイメージを勝手に持っていて未読の作品でした。今年読んでみて、あっという間に引き込まれて好きになった本です。コンラッドの闇の奥とか、人間の精神の奥底を覗くような、そういう作品に魅かれます。

 

③ヒント:海外小説、SF

未来世界を覆った気の滅入る荒廃を、いったい、どう話したものだろうかねえ。真っ赤に燃える東の空。北の暗黒。塩分の濃い海は死海と同じで、生き物は棲めない。石混じりの浜に、鈍重なカニの化け物が醜い姿をさらして這いずりまわっているばかりだ。緑の植物はどれもこれも、毒がありそうな地衣類、もしくは藻類でしかない。空気は薄くて息が苦しい。そんなこんなで、世界は見るも無惨だよ。

 SF小説のなかでも一番好きかもしれない1冊。未来世界と書いてしまっているので、これはわかりやすいでしょうか?

 

④ヒント:海外小説、冒険

「<獣>を殺せ!喉を切れ!血を流せ!」

動きが規則的になるにつれ、歌ははじめの浅薄な興奮を失い、着実な 脈拍のようにリズムを刻みはじめた。

(中略)

いくつかの輪が、回りつづけることで安全が確保できるとでもいうように、ぐるぐる回りつづけた。そこではひとつの生命体が動悸を打ち、足を踏み鳴らしていた。

これは読んだことがある人には1発でわかってしまうと思います。

スリリングで記憶に残るフレーズですね。

 

⑤海外小説、著名作家の隠れた名作

トカゲが穴から顔を出し‥‥‥

真相が‥‥‥

真相が少しずつ、トカゲのようにひょこひょこと現れる。「わたしはここにいる。おまえは知っているはずだ。わたしをよく知っているはずだ。知らないふりをしても、何にもならないんだからね」

真相を知っているーだから恐ろしいのだ。

(中略)

愛している人たちのことなら、当然知っているはずなのに。

わたしがこれまで誰についても真相を知らずにすごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだ。 

 著名作家の作品のなかでも、タイトルに聞き覚えがなくて、なんとなく読んでみた作品です。今年メディアで何かと話題になったようで、再評価されているようです。

 

ここまでが海外小説編です。続いて日本の小説編です。

 

⑥日本の小説、皮肉な語り口が癖になる

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西及び南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士さえ描いている。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと広がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。

 ほとんどネタバレしていますが、この作品が好きなので載せました。

はじめて読んだときは「こんな話だったのか!」と結構びっくりしました。

 

⑦日本の小説、文豪の、教科書には載らない方の作品

「この国の死刑は日本よりも文明的に出来ているでしょうね?」

「それは勿論文明的です」

ペップはやはり落ち着いていました。

「この国では絞罪などは用いません。稀には電気を用いることもあります。しかし大抵は電気も用いません。唯その犯罪の名を言って聞かせるだけです」 

 これだけでもピンとくる人はいそうですが、もう一箇所載せたい場面があるのでそれも書きます。

「君はあしたは家にいるかね?」

「Qua」

「何だって?」

「いや、いると云うことだよ」

大体こう云う調子だったものです。 

 この調子はずれのやり取りが好きで…。⑦がすぐわかった人は握手しましょう、Qua!

 

⑧日本の小説、昭和の大事件を題材とした名作

テントをうつ雨の音を聞き、ちろちろと外で燃える焚火を見るにつけ、恩地に、テヘラン空港で妻子と別れた時の体が引き裂かれるような苦痛が甦って来た。テントをうつ雨の音さえ、あの時の激しい飛沫に思えた。

あの日から、独り東アフリカのケニアに赴任し、既に二年半も経っている歳月を思うと、自分は、まさに現代の組織における"流刑の徒"以外の何ものでもないー。 

 有名だけど読んだことがない、という人も多そうな作品。初めて読んだとき、有名なくだりが出て来るまでは全く違う話が続くので、ちょっと面くらいました。このフレーズでピンとくる人はなかなか通ですね…。

 

⑨日本の小説、有名作家の作品のなかでもコアな方?

片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。二本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。身長1m60センチ しかないやせっぽちの片桐は、その堂々とした外観に圧倒されてしまった。

「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」と蛙はよく通る声で言った。

 特徴的な名詞がでているので、わかる人にはすぐわかってしまいます。

この著者の作品をたくさん読むほうではないのですが、上記の短編は好きです。

 

⑩日本の小説、わたしのイチオシ

意欲がわかなかったが、とにかく浅香一郎は最初の問題に目を通した。

 

●次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

積極的な停滞というものがあるなら、消極的な破壊というものもあるだろうと人は言うかもしれない。なるほどそれはアイロニーである。濃密な気配にかかわる信念の自浄というものが、時として透明な悪意を持つとこがあるということは万人の知るところであろう。 

 ヒントがヒントになっていません。これがわかる人はわたしと握手(以下略)。多作の作家なのでどの本を選ぶか迷いますが、わたしは上記の作品が載った短編集が一番好きです。肩ひじはらずにただ笑える1冊です。

 

 

以上、10冊のクイズでした。

海外小説と日本の小説を5冊ずつ、すべて一度は名前を聞いたことがある作家または作品を選んだつもりです。

結構楽しかったので、またこういう記事を書こうかな、と思います。

答えは次の記事に書くので、よかったら確認してみてください。

 

 

LINEアカウントが消えた

最近、思ったよりショックなことがありました。

 

友人とかつき合いの多い方ではないし、引っ越しやら進学やら転職の度に人間関係がリセットされることが多かったから、別に大丈夫で思っていました。

なのに。

たかがLINEアカウントが消えただけで、立ち直るのに1か月近くかかりました。

 

辛いとかショックという感情より、そういう感情が芽生えたこと、そして割と引きずったことが自分では意外で、興味深くもあったので記事として記録を残すことにしました。

 

LINEアカウントが消えた日

 

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「あれ?」

充電が終わる頃合いのスマホをケーブルから引き抜こうとしたとき、予想外の熱に指を引っ込めた。

偶に使いすぎると熱くなるけれど、充電後にここまで熱くなるのは珍しい。その日はちょっと引っかかりながらもいつも通りツイッターを開き、はてなブログアクセス解析に一喜一憂するうちに時間が経ち、次の日の準備を慌ただしくして布団に潜った。

転職したばかりで、毎日覚えることだらけの生活は慌ただしく、最近は働いて帰って寝るだけの毎日。このブログも更新する気力が湧かないのが目下の悩みだったりする。別に更新しないことで誰も困りはしないけれど、何となく習慣になっているブログが書けないことは地味にストレスになる。書きたい気持ちばかり膨れるけれど、今は新しい環境に慣れる方が優先だからと自分に言い聞かせて、なんとなく焦燥を抱えた地に足の着かない日常を送っている。

指先の熱さに驚いた日から数日。毎日充電すると熱くなり、電池の消耗も前より早くなったスマホに違和感を覚えつつも、社用ケータイと私用スマホの2台を毎日充電する煩わしさにかまけていて、特に修理とかは考えてもいなかった。それでもちょっとは気になっていたから、動画とか音楽を聴き過ぎないようにとか、全然使っていないアプリを消したりとかしてみたけれど、だんだん電池の減りが急激になり、ついにその日がやってきた。

 

「何これ…」

3時間以上充電ケーブルに繋いでいたから外そうと思って近づいたとき、スマホの画面が白く光っていた。起動するときに表示される、齧られた果物のマークが触ってもいないのに中央に浮き出ていて、さすがに異変を感じた。急いでスマホを(iPhoneって打つのがめんどくさい)手にとってホームボタンを押しても、なにも反応しない。

怖いから一晩そのままにして、家にスマホを置きっぱなしにして会社へ出かけた。時間がないし、帰ってから修理に出せるショップを検索しようと思っていた。

 それが、生きてる前スマホを見た最後だった。

 

 

ここまで書いてからちょっと恥ずかしくなる。

なんで小説(エッセイ?)調にしたかというと、こっちの方が時系列でわかりやすいからという理由だった気がする。でも想像以上に何か恥ずかしい。むしろ小説書くぞ!って感じで書くときの方が恥ずかしくない。過去にちょろっと小説を書くサイトに投稿したことがあるけど、あれも今思うとよく衒いなく書けたものだと思う。なんだか妙に恥ずかしい。そういえば、1年くらい前に書いたあの小説は未完だったとかどうでもいいことまで思い出す。その話題は思い出すのはやめよう。

 

しかしここまで書いたのだから、気を取り直して続きを書きます。

 

(続き)

タイムカードを切った後に話しかけられて、うっかりサービス残業をして(こういう日はままあるけれど、もしかしてブラックなのかな。昼休みも長くて15分くらいしか取れてないし…)から溜息とともに帰宅する。そういえば、スマホどうなったかなと思いだして、置きっぱなしにした机を振り返る。

ひんやりとした感触と黒い画面を確認し、何の気なしにホームボタンを押して、何も変化が起きないことに首を傾げる。

おかしいな、充電完全に切れたかな。そう思って充電ケーブルを差した。けれど結局、その後スマホに電源が入ることは二度となかった。

そのあとはまあ色々焦って方法を探したけれど、修理代金が4万円近くかかること、それでも直る保証はないこと、手元に戻るまで3週間かかることなどを知り、新しいスマホに買い替えることにしました。仕方ない。出費は痛いけど不便だから。そう思っていたのはまだ余裕があった。

 

LINEの復旧ができないことに気が付くまでは。

 

LINEは、わたしは大学生のときから使いはじめた。最初は皆が使っているものとか流行に対する偏見や反感が少しあって、皆よりちょっと遅れて使いはじめた。天邪鬼というか、単にメンドクサイ偏屈な人間だと自分でも思う。メールとは全く違う情報の伝達速度、特にメーリングリストではできない即時の双方向伝達に、あっという間にヘビーユーザーになった。少し前まではなかったとは思えないほど、現代人はLINEに依存している。少なくとも、わたしはそうだった。

以前、パソコンで開いたことがある記憶を思い出し、ログインを試みるもできなかった。以前落としたLINEのアプリを何故かアンインストールしていて、電話番号でログインしようとしても、肝心のスマホが反応しないため、ショートメッセージを受信できない。メールアドレスでログインしようとしても、スマホアプリのLINEに認証番号を打ちこまないとログインできない。Facebook連携もしていない。ネットやLINEのお問い合わせフォームまで情報を探し回り、それでも復旧できる可能性がほぼないことを知り、軽く絶望した。

 

たかだかアプリひとつ無くなっただけで、ここまで打ちひしがれる自分に衝撃を受けた。

 

本当は、MNPで番号を引き継いでいれば、トーク履歴は復元できないとしてもアカウントを復活することはできたとも思う。でもパスワードもうろ覚えで何度も弾かれたり、MNP転出番号発行に時間がかかったり、いろいろ試行錯誤することに疲れてしまった。友達や知人の連絡先が消えるのが不便といっても、そもそも人間関係が煩わしいのが厭で、学生時代の友人数名意外とほぼやり取りしない自分に、そこまで必要だろうかと考えてしまった。転職もしたし、前の職場の同僚は全国転勤で顔も見なくなっていたから、特に連絡が取れなくても何とも思わない気もした。

なのに。

何年も連絡を取っていなかったり、今後も連絡することはないと思うくらいの人間関係でも、消えると思うと怖くなって手が震えた。今はもう、めんどくさいグループラインの未読や既読スルーについて悩むことがなくて楽だな、とか。抜けるタイミングを失ったグループラインと縁が切れたからほっとしたとか、そう思う程度で。過去の、特に大学時代とかの昔の想い出にすがりたくて、よすがに持っていたくてあんなに苦しんだのだなと今は思う。でも失くしてみえば、別になんてことはなかった。

 

というのも、本当によく連絡を取ったり親しくしている人は、Twitterやインスタなど他の媒体でつながっていたり、一人を経由して複数人と連絡が取れたりしたから。

露骨に人間関係の清算をしたようにも思えて、ちょっとばつの悪い気分だけれど、なにか吹っ切れた気がする。本当に親しい、連絡を取りたい人と連絡が取れなくなるのは辛いけれど、過去の想い出や栄光にすがる気持ちで連絡先をキープしていた人も多かったのだと気が付くことができた。そもそも、わたしと連絡が取れなくなったことに気がつく人はそんなに多くないだろう。

自分の未練がましいところを思い知り、気恥ずかしくて情けないけれど、ちょっとだけ大人になれた気がする。

 

‟友達”が10分の1くらいになったLINEホームを見てそう思った。

 

『車輪の下』から見た景色

夏休み新潮文庫100冊の定番、『車輪の下』を読了しました。

 

あまりにも有名なため、あらすじも知っていて読んでないのに読んだような気になる本のひとつで、ようやくちゃんと読めました。

300頁に満たない短い作品ですが、鬱屈した仄暗い雰囲気と、少年の目を通して描かれる美しい風景描写の対比が心に残る、内容の濃い物語でした。

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

 

 古い小さな田舎町で、父親と二人で暮らしている少年ハンスの苦悩の日々とその短い生涯を描いた、少しダークな青春小説です。

他の子どもたちより『勉強が得意な』少年ハンスは、周囲の大人たちから過剰な期待を寄せられ、毎日勉強に明け暮れていました。凡庸な自分と違い、立身出世するだろう息子に期待をかける父、町から優秀な人材を輩出できると息巻く学校の校長、そして牧師をはじめとする町の人々、…。ハンスは周囲から特別な人間として扱われ、試験に合格して名門神学校に入学することを目標に只管勉強に励み、ついに念願の神学校へ優秀な成績で入学することになります。しかし、そこではハンスの柔らかく傷つきやすい精神を揺るがす出来事が次々と起こり、ハンスは坂を転げ落ちるように挫折を味わうことになり…。

 

秀才だけれど天才でない、散歩と釣りが好きなふつうの少年ハンスが、町中の大人に期待をかけられ、入試まで勉強漬けの毎日を送る前半部分の描写は、自分の受験時代を思い出してほろ苦い気分になりました(わたしはハンスほど勉強しなかったし、できませんでしたが)。

日の光もろくに浴びず、やせ細って頭痛に悩まされる不健康な少年ハンスは、入試を受けるときも不安ばかりで、暗記した内容を忘れたと思って青くなり、全然できなかったと塞ぎ込みます。そういう描写は現代の受験戦争にも似ていて、いつの時代も子どもに過度の負担を強いる悪習があるのだと、ちょっと陰鬱な気持ちになりました。受験や勉強はわたしは悪いものだとは思っていないけれど、本人の意思より大人がヒートアップしてしまうのは、やっぱり違う気がします。

 

話が逸れました。

小説に話を戻します。

この小説のエグいところは、ハンスが単純に大人に翻弄された哀れな子羊で、絶望するしかなかった『可哀想な子ども』ではなかった(とわたしは思います)点に尽きます。

確かにハンスは親や町の大人たちに勉強を強いられ、ある種自由のない生活を強要されていましたが、決して厭で仕方なかった訳ではなかったと推察できる描写がたびたびあります。

だが、同時にまた、奪われた子どもの遊び以上に値打ちのある時間をここで味わうこともあった。それは、得意と陶酔と勝ち誇った気持ちにあふれた、夢のような、なんともいえないものだった。そういうとき、彼は夢うつつのうちに学校も試験もなにもかも越えて、一段と高いものの世界にあこがれひたるのだった。そうすると、自分はほおのふくれたお人よしの友だちとはまったく別なすぐれた人間で、いつかはきっと人界離れた高いところから得々と彼らを見おろすようになるだろうという、思い上がった幸福感にとらえられた。

 (「車輪の下」新潮社 ヘッセ著 高橋健二訳 p21より引用)

 

人より優れている(と思い込む)ことで得られる優越感に浸ることは、誰しも持っている平凡な感情です。けれど、上記のハンスが持っていた‟思い上がった幸福感”はすこし違うと感じます。社交が不得意で友達が少なかったり、運動が苦手だったりする子どもが勉強に打ち込み、周囲に嘲られたり相手にされなかったことで蓄積された劣等感を成績で見返す、という構図が見えてきます。勉強以外のことで冷遇された抑圧がある分、この種の‟幸福感”はとても魅力的で、成績が落ちてその力を失うことを強く恐れるようになるとも考えられます。

ハンスは苛められていた訳ではないし、神学校を辞めて町に帰ってきた後に友人もいますが、それでも彼が悲劇的な結末を歩んでしまったのは、周囲の大人の期待を裏切ったという罪悪感だけでなく、この‟幸福感”を失った敗北感を強く感じた所為かもしれません。

 

 しかし、ハンスは秀才や天才たちの集まる神学校で挫折し、町へ帰ってきたあと絶望しかなかった訳ではないと思います。学校という狭い世間を出て恋を知り、失恋の痛みと悲しみを知り、苦痛を感じながらも労働の喜びも感じ始めていました。

大人達が寄せる過剰な期待と自身の自負心という重い『車輪』に擦りつぶされた、一見哀れな人生でも、車輪の下から見える景色は本当にそんなに悪かったのでしょうか。ハンスの心の描写は不安定で陰鬱だったけれど、ハンスの目を通して描かれる景色はとても瑞々しく、きれいなものでした。きっと、もう少し少年の苦悩を受け止める大人や友人がいれば、柔軟な少年の精神は新しい道にも順応し、違った幸福を見つけられたのではないか。そんな風に思います。

 

【おすすめできない】わたしの読書感想文

世間はいつの間にか夏休み。

 

周囲はお休みを取り始めたり、行楽らしき人を駅で見かけたりすると、夏休みがはじまったことを感じます。

自分の仕事は夏休みを一斉に取らないので、お盆もふつうに働くと思いますが、この時期のお祭り感は嫌いじゃありません。

特に夏休みを謳歌する子どもの姿を見ると、自分の子ども時代を思い出して少し懐かしくなり…はしません。

 

子ども時代といっても、小学生のときの無邪気な思い出より、受験地獄だった中学生以上を先に思い出してしまうので。今となってはいい経験でしたが、学校と塾の大量の宿題をさばき、連日塾に通って休みの日は図書館で勉強、…という勉強漬けの毎日は、遊びたい盛りの中高生にとってはかなりきつかったです。

 

それで、鬱憤を紛らわす意味で読書にはまったのかもしれません。

あまり勉強していなかったら、友達と遊んだり部活に励んだりして、本など顧みることもなかったと思います。勉強に疲れたら自習に行く振りをして図書館で好きな小説を読みふけることが、当時のささやかな楽しみでした。

 

そんな中高生時代。無駄に闘志を燃やして取り組んだのが『読書感想文』です。

 

大して読んでもいないのに、クラスメイトよりは上だと一端の読書家を気取っていたあの恥ずかしい十代のころ。読書感想文は、他の宿題とは違って異様に気合を入れてとりくんでいました。

つまり、他の同級生が絶対読まないような小難しくてカッコイイ本を選んで、人より抜きんでた感想文を書いてやる!と意気込む、今思うと自意識過剰な恥ずかしい学生でした。

十代なんて自意識過剰で自分を過大評価してしまうところが誰しもありますが、あのころの自分を思い出すと、赤面するくらい恥ずかしい自惚れ野郎でした。

 

この恥ずかしさについて語っていると終わらないので、話を戻します。

中学の3年間で、わたしが読書感想文に選んだ本は以下の3冊です。

 

 

①中学1年

『変身』 フランツ・カフカ

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 海外小説ってだけでかっこいい!と思っていた当時。

海外小説なんて、小学校5~6年でハマっていた児童文学(過去記事でも書いてます!)くらいしか読んだことがなかったのに、何故いきなりカフカを選んだのか。

全く記憶にないですが、はじめて読むカフカに「???」となり、何度読んでも小説の意図がわからず、とりあえず原稿用紙のマスを埋めるのに精いっぱいだったのを覚えています。たった1枚の原稿用紙を埋めるのに何時間かかったかは覚えてませんが、ただ見栄と自己満足のためだけによくチャレンジしたなとは思います。

読むのはいいと思いますが、中学生が読書感想文に選ぶにはちょっとハードルが高かったかもしれません。

 

 

②中学2年

天平の甍』 井上靖

天平の甍 (新潮文庫)

天平の甍 (新潮文庫)

 

 いろいろ拗らせていた中学2年。俗に厨二病なんて揶揄される十代の多感な時期で、自分に理解できないくらい難しい本を読むのがステータス、くらいに思っていた気がします。正直、当時この本を読んで面白いとは思えませんでした。難しかったので。

この頃ほかに読んでいたのが浅田次郎のプリズンホテルとか、宮本輝の流転の海とか、北杜夫の輝ける碧き空の下でとかだったので、内容を考えて先生に見せにくいなと思って『天平の甍』にした訳ですが、そんなのは言い訳で「甍」っていう語感がかっこいいから選んだような気もします。地の文がまずとっつきにくくて、戦国時代とか江戸ならまだしも、遣唐使など教科書でちょっと見たくらいしか記憶がなかったのに、よく読んだなと思います。わたしは一体何を書いたのか覚えていませんが、背伸びして書いた支離滅裂な感想文を受け取った中学1、2年のときの国語の先生は、読みながら噴き出したかもしれません。おそろしい…。

 

 

③中学3年

『国銅』 帚木蓬生著

国銅(上) (新潮文庫)

国銅(上) (新潮文庫)

 

 中学3年間の間で一番さらっと書けた感想文でした。

なぜなら、本当に時間がなかったから。

 なぜ3年のときだけ2冊載せているかというと、受験の天王山とか言われる多忙な中学3年の夏に、なぜか2種類の読書感想文を書いたからです。

最初は『華氏451度』で書いて、受験勉強で忙しかったので不満は残りましたが7月中には片付けたのでそのまま放っておきました。「焚書」というハッキリしたテーマがあって、内容は深掘りできなくとも感想文を書くだけなら何とかできたので、今年は安泰と思っていました。

 

しかし、塾の夏期講習も夏休み後半には大体落ち着き、さて学校の宿題の残りを片付けるかと見直していたとき、読書感想文を読み返したのが失敗でした。

ド素人、しかも文章を書くのに慣れていない中学生の雑文など、読み返したら絶対に粗がでてきます。どうせ皆そんなものなのだから、諦めればよかったのに無駄な自尊心をくすぐられ、夏休み残りわずかになって、全面書き直しを決めました。

 

何度か推敲して書き直していたのですが、なまじ好きな本だったたけに全然気にいらず、結局本ごと変えて最終日夜まで書き続けるというアホなことをしてしましました。その時間があるなら、もっと受験勉強をしておけばよかったなあと思います。そういう地道な努力がもうちょっとできていれば、入る学校は変わったかも、そして人生はまた違ったものになったでしょう。

とはいえ、読書を優先した自分がいるから、今でも本好きなのだと思うので、これはこれでよかったと思います。

 

提出のギリギリまで2枚の読書感想文を見比べ、結局『国銅』の方を提出しました。思い入れの在り過ぎる本や、すごく好きな本は逆に冷静に書けないので、選ぶものじゃないとこのとき思い知りました(国銅も面白かったですが、当時は華氏451度が好きだったので)。

 

 

中学校の読書感想文は、人生ではじめて文章に熱を注いだ経験でした。

見栄を張って書きにくい本を選んだなあと思いますが、まだ『グインサーガ』とか選ばなくてよかったなと思います。当時のわたしだったら選びかねないので。

次の記事では、テーマごとの読書感想文おすすめ本とか、夏休み向けおすすめ本とか書こうかなと思います。