本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

【五十音順・おすすめ小説紹介】27冊目 恩田陸

おすすめ本紹介、27回目です。
この記事では著者の五十音順に、わたしのおすすめ本を紹介しています。
今回は恩田陸氏から2冊選びました。

 ※恩田陸氏の作品のなかでも、異色かつあまり有名どころではない作品をピックアップしてみました

ドミノ (角川文庫)

ドミノ (角川文庫)

 

 登場人物が多すぎる本(でもなぜか頭に入る)。

真夏の東京駅で、28人の登場人物の行動が引き起こすドタバタ劇。一億円の契約書を待つオフィス、オーディション中に下剤を盛られた子役の少女、次期幹事長の座を巡り推理力を競い合う大学生、美男美女の従妹、アメリカから来た映画監督、待ち合わせ場所に行き着けない老人、老人の句会仲間の警察OBたち等(まだまだ他にも出てきます)。目的も事情も異なる様々な人物たちが起こす些細な出来事が連鎖し、予想もしない結末が導かれていく。

 400ページ足らずの作品内で、これだけの人物が連鎖してひとつの物語になっているというのが凄いです。伊坂幸太郎氏の「ラッシュライフ」に近い気がしますが、伊坂氏は登場人物の会話や行動を丁寧に書き、伏線をきっちり回収するのが持ち味なのに対して、「ドミノ」は読者を飽きさせないスピード感のほうを重視している感じがします。登場人物が多ければ大長編になりそうだけれど、短くまとめたことで刻一刻と変化する状況や先の読めない展開が中弛みせず続くので、ページ数も恩田氏の計算なんだなと思います。

 まさに次々と倒れていくドミノのような緊迫感を味わえる作品です。

 

ロミオとロミオは永遠に〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

ロミオとロミオは永遠に〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

 

 ラノベサブカルチャー讃歌SF。

 小説というよりライトノベル風な作品です。
汚染された地球に居残った日本人たちが、膨大な化学物質や産業廃棄物の処理に従事する近未来を描いたSF。閉塞した世界で、最高学府「大東京学園」の卒業総代になることだけがホワイトカラーへの唯一の道だった。苛酷な入学試験レースをくぐりぬけたアキラとシゲルを待ち受けていたのは、さらに過酷で異常な学園生活だった。

 荒廃した地球を舞台にした近未来の地球、閉塞したエリート学校など、マンガやライトノベルの題材として描かれがちなテーマを扱っていますが、この作品の面白いところは他にもあります。過酷すぎる学園生活の反動から、密かに学生たちが熱狂する20世紀のサブカルチャーの数々に興味を惹かれました。昭和のサブカルチャーが好きな人、興味がある人にはわかるネタがたくさんあるので、探しながら読むのも楽しいです。

ラノベ系学園SFではあるけど、個人的に本筋はミステリだと思うので、ミステリ好きの方にもおすすめしたいです。オチがちょっと意外でしたが、タイトルの意味を考えると「なるほど」と思います。永遠に年を取らないロミオとロミオとは。

 

恩田陸氏の作品では、「六番目の小夜子」「月の裏側」「光の帝国」(常野物語シリーズ)が特に好きですが、この辺りは結構読まれてるかなと思ったので違うものを紹介しました。幻想的で繊細な心理描写が特徴的な著者ですが、「ドミノ」と「ロミオとロミオは永遠に」は全く違った作風を楽しめるのでぜひお試しください。

 

 もう1作、最近読んだ「蜜蜂と遠雷」について別記事で触れたので載せておきます。

zaramechan.hatenablog.com

 

【ゴールデンカムイ人物考察】不死身の杉元

ゴールデンカムイに心奪われ、数日考え続けていたので手慰みに主要人物の考察をしてみます(※注 個人の感想です)。既刊13巻までの情報でお送りします。

 

杉元佐一の人物像

 「不死身の杉元」という異名を持つ主人公。日露戦争に従軍し鬼神のごとき戦いぶりを見せ、その勇名を馳せたが「気に入らない上官を半殺し」にした所為で恩賞も受け取れずに満期除隊した経歴を持つ。異名の通りに対人戦闘(対羆戦闘もある)では圧倒的な強さを見せ、特に「俺は不死身の杉元だ」と叫ぶときその強さが際立つ。しかし普段は温厚であり、人の言うことをすぐに信じたり他人にやさしい言動を取ることが多い。戦闘時とのギャップがものすごい。亡き親友の妻で、かつて想いを寄せた女性の病気を治すため金塊争奪戦に身を投じている。

 

以下から考察 ↓

①「惚れた女」に感じる違和感

②戦い方の違いから見えるもの

③「不死身の杉元」誕生

という3つのトピックから、杉元佐一という人間について考えてみます。

 

 ①「惚れた女」に感じる違和感

杉元の金塊争奪戦参戦への動機は「梅子の目の病気を治すため」と作中で何度も示唆されている。しかし、杉元の口から語られる回数は少ない。

 5話「カネじゃねえ。惚れた女のためだ」

 108話「戦争で死んだ親友の嫁さんをアメリカに連れてって目の治療を受けさせてやりたいんだ」

 ……これだけ?

全巻確認してみても、杉元が直接語っているのはこの2回。しかも、かなり温度差がある。

また、金塊への並々ならぬ執着は感じられるが、梅子については寡黙でほとんど心情を明かしていない。特に白石や尾形から「いい人」や「惚れた女」について聞かれたときに何も言及していないのが気になる。

この描写は、「梅子への想いは過去のものである」と示唆している。

 6話の回想の中で、村を去るときに「必ず梅子を迎えに行く」というモノローグがあることから、杉元がかつて梅子が好きだったことは確かだろう。

しかし、5話の「惚れた女」という言葉はミスリードと考えたほうが辻褄が合う。35話で寅次の言った「惚れた梅子を幸せにする」と似ている上、「急がなきゃ」は1話の杉元の夢で寅次が語った言葉である。つまり、杉元は寅次の言葉を反復しているだけで、自分の言葉で梅子について語っていない。また、戦争中の寅次と杉元の会話シーンでは、二人が梅子を巡ってわだかまりを抱えている様子は既にない。杉元はこの時点で梅子への想いに決着がついていると読み取れる。梅子一人分の渡航費用しか考えていないのは、自分が梅子と共に居る未来を想像していないからともとれる。

 「惚れた女のためだ」というセリフは、杉元が「寅次に成り代わって生きている」ことを示していたのではないか。

故郷で迫害され、家族を失い想い人と別れ、一人になった杉元を繋ぎとめたのが寅次だ。村を出てからずっと孤独だった杉元に寅次が手を差し伸べたと解釈すると、寅次の死は杉元にとって3度目の喪失であり、深い絶望をもたらしただろう(1度目は家族の死、二度目は失恋)。
極めつけは戦争後に梅子の元へ寅次の遺骨を持ち帰ったとき。目がほとんど見えなくなった梅子は、血の匂いに戸惑い杉元を認識できなかった。戦場で傷ついた杉元の心は梅子の言葉で完全に壊れ、寄る辺のない亡霊のようになってしまった。寅次の想いを引き継ぐことだけに生きる意味を見出しているのが1話の状況と推察できる。梅子の泣き顔の回想や、1話で寅次の死を夢に見た描写は杉元の抱える罪悪感の強さを示唆している

つまり本編開始時の杉元は、自分の心を失い、贖罪のためだけに生きている状態だったと考えられる。寅次のセリフが口をついて出たのは、自分の望みや意思を失っていたからだろう。

 

 ②戦い方の違いから見えるもの

作品内での杉元の戦闘シーンの描かれ方を分析してみると、状況によって緻密に描きわけられていると思ったので以下で考察する。

杉元の戦闘シーンを振り返ると、3つのパターンが見えてくる。
(a)通常兵士型
標準的な兵士の戦い方。4話の対尾形戦や対刺青囚人戦などがこれに当たる。冷静に判断し、確実に相手を戦闘不能にする。必要があれば殺したり、刺青の皮を剥ぐなど他者を利用する冷酷さを持っているが、不死身の気迫や戦闘狂のような強さはない。
(b-1)不死身型
死の危険が目前に迫ると現れる戦い方。「俺は不死身の杉元だ‼」と叫ぶとき。対羆戦や対二階堂戦などみられる。無謀な特攻を仕掛けるが、命を危険に晒す代わりに確実に相手を倒している。「絶対に自分は死なない」ことは厳守しているため、冷静さは失われていないと考えられる。
(b-2)暴走型
アシㇼパが危険に晒されたときなど顕著に現れる戦い方。1話の回想に出てきた戦場での「鬼神のごとき戦いぶり」もこちらと考えられる。死なないための防御がゼロ。無防備に首を撃たれたり、背後がガラ空きであったりして周りが見えていない。123話で杉元が都丹庵士に言った「そのうち見境が無くなるさ」といった境地に近い。怒りのあまり我を忘れて戦っている状態。

 

一言で「不死身」と言っても、鬼神のような強さをもつ戦い方は(b-1)(b-2)の2パターンが見て取れる。(a)通常の戦闘と合わせて、3パターンが状況によってはっきり描き分けられているのは意図的なものだと思う。戦闘シーンの描写の違いは、そのまま杉元の内面(人格)の変化をあらわしていると見て間違いないだろう。③でさらに詳しく見ていく。

 

③「不死身の杉元」誕生

 最後に、「不死身の杉元」として勇名を轟かせた異常な強さの理由について。

杉元は戦場で2回壊れたからと本記事では推測する。

 杉元の人格が戦場で壊れたことを100話で本人が述べられていることから、「不死身」の人格が戦場で生まれたことは確かである。しかし、それだけでは谷垣など他の兵士と条件は同じ。他の兵士を圧倒する異常な強さは「戦争の所為」だけでは説明できない。「不死身」は以下の2段階を踏んで生まれたと考えている。

(ⅰ)兵士として壊れた ⇒(a)

(ⅱ)寅次を亡くしもう一度壊れた ⇒(b-1)(b-2)

 

(ⅰ)兵士として壊れた

②で述べた(a)の戦闘スタイルはこの時点で確立した。寅次と戦争で再会する前に杉元は一度、兵士として人格を壊されている。1話の回想では、寅次と話しているときに顔の傷はすでに塞がっている。つまり寅次と再会する前に杉元はロシア兵と交戦し、顔に刀傷を負うほど激しい白兵戦を経験していると推定できる。生き延びるために敵を殺すことを躊躇しないという元の自分とは違う「兵士の人格」を持っているが、他の兵士と大差はない状態と考えられる。

 

(ⅱ)寅次を亡くしもう一度壊れた

並みの兵士を遥かにしのぐ強さは、寅次を亡くした後に生まれたと本記事では推定している。この強さについては、3巻のアシㇼパのセリフがわかりやすい。

18話「あいつの強さは死の恐怖に支配されない心だ」

死を恐れないのには、2つの理由が考えられる。

・自分が死ぬと思っていない ⇒(b-1)の戦闘スタイル
・激しい怒りが恐怖を凌駕している ⇒(b-2)の戦闘スタイル

 前者については、杉元の以下のセリフから説明できる。

1話「なかなか死ねないもんさ」

2話「やれやれまた生き残った」

47話「死すべき時に死ねないつらさか…」

48話「英雄なもんか 俺は死に損なっただけだ」

以上の言葉からは「生き残った」ことへの後悔や落胆が感じられる。家族全員が結核にかかったとき、戦場で次々と仲間が死んでいったときなど、杉元の周囲で「死」はあふれていた。度重なる人との死別によって培われた「生き残ってしまった」という絶望が、寅次の死で決定的なものになった。

 杉元は「死ぬべき時」が過去にいくらでもあったのに、それでも生き残ったのだから今更死ぬわけないと考えているのではないか。深手を負っても怯まないのは①で述べたように、生きる希望を失っているためだろう。

後者の「激しい怒りが恐怖を凌駕している」について。

②(b-2)の暴走型戦闘は、「怒り」を原動力にしていると考えられる。そしてこれこそ、杉元の抱える「罪悪感」(トラウマ)が最も表に現れたときと言える。

戦場から帰還後、梅子へ寅次の指を持ち帰っていることから、寅次は杉元の近く(もしかしたら目の前)で亡くなったのではないかと推察できる。もしそうなら、家族の死を見続け、梅子の輿入れを目撃したとき同様「目の前で大切な人が失われる」悪夢のような状況の再現である。これによって杉元の精神が限界に来たのは想像に難くない。

強い悲しみが何度も「守れなかった」自分への怒りへ変わり、暴走する人格を生んだと考えられる。

 

 「不死身の杉元」は、生まれつきの性癖や偶然ではなく、プロセスを踏んで誕生したといえる。

兵士として生き延びるため、杉元は一度冷酷な人格へと壊れた。その後、寅次の死が引き金となり生きる希望を失い、自分への強い怒りが異常な強さを生み出したと推察できる。

 

 

追記

今回は3つのトピックから、1話で原作が始まった時点での杉元の状況を考察してみました。

自分を迫害した村の人達や想い人を奪った寅次、親友を奪った戦争(敵兵)を恨むのではなく、何もできなかった自分に憎悪を向けるのが杉元なんだと思うと、端々で見られる杉元のやさしさはあれが本性なのだなと納得できて切ない。子どもの頃、家族や友人に囲まれ、運動神経がよくて好きな子とも両想いだった杉元。恵まれて幸せだった環境が人にやさしく誠実な彼をつくったと考えると、尾形との対比が…。

本編開始後は、そんなボロボロの杉元の回復と再生が丁寧に描かれていきますが、一筋縄ではいかなさそうだと思います。アシㇼパとの関係、白石を入れた3人組の意味、谷垣の再生との対比など、読み返すと色々見つかって面白いです。確証バイアスの罠に嵌っている気もしますが。

ここまでお読み頂きありがとうございました。あくまで一個人の妄想ですので、存分に原作をお楽しみください。

 

【五十音順・おすすめ小説紹介】26冊目 小野不由美

おすすめ本紹介、26回目です。
この記事では著者の五十音順に、わたしのおすすめ本を紹介しています。
今回は小野不由美氏からこちら。

月の影 影の海〈上〉―十二国記 (新潮文庫)

月の影 影の海〈上〉―十二国記 (新潮文庫)

 

 読めば読むほど味が出る本です。

 

「月の海 影の海」は十二国記シリーズの第一巻で、現在9巻が出版されています。 古代中国を彷彿とさせる異世界ファンタジー小説の金字塔です。

“「お捜し申し上げました」―女子高生の陽子の許に、ケイキと名乗る男が現れ、跪く。そして海を潜り抜け、地図にない異界へと連れ去った。男とはぐれ一人彷徨う陽子は、出会う者に裏切られ、異形の獣には襲われる。なぜ異邦へ来たのか、戦わねばならないのか。怒濤のごとく押し寄せる苦難を前に、故国へ帰還を誓う少女の物語がはじまる。”

            (「BOOK」データベースより一部引用)

 

ある日、女子高生陽子のもとに異世界からの使者が現れ、平和だった陽子の日常は急転してしまいます。運命に翻弄され、苦しみながら成長していく陽子に当時はとても憧れました。

しかし1巻を読みはじめたときは、そんな骨太の物語とは思わず、ライトノベル風のよくある異世界ものだと思ってました。なので読み終わってみると全然違う…と驚いたのを覚えています。

若い人向けの冒険小説というイメージで読むといい意味で裏切られます。

むしろ、歴史ものや重厚な人間ドラマ好きに響くのじゃないでしょうか。

 

 

緻密に練られた世界観

 十二国記シリーズは、わたし達が住む現実の世界とは別に存在する「十二国」という異世界が舞台です。「十二国」では霊獣である麒麟が王を見出し玉座に据える役割をもちます。麒麟と誓約を交わした王が国を治め、麒麟が補佐を務めるという絶対王政を敷いています。

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(新潮社公式サイト 「十二国記の世界」より引用)

古代中国の神仙思想をベースに不老不死や霊獣が描かれており、ファンタジーですが古代中国の神話の王が統べる時代はこんな風景だったんだろうかと想像できます。中国の戦国時代~秦・漢時代に書かれたとされる書物・山海経を資料としているという話があったので、妙に納得しました。本編を読みながら元ネタを探してみるのも楽しいです。

しかし、もっと凝っているのが国や政治のシステム、気候や生活などの「現実的な」世界観です。巻が進むごとに国ごとの状況が明らかになってきて、国同士の駆け引きや国内の混乱、政変の勃発などが起き、神の万能の世界ではない「等身大の国家」が描かれます。神話の時代が終わり、そこに生きるすべての人達がつくる世界がはじまるという黎明の時期の大河ドラマを観ているような感覚が味わえました。

中華風ファンタジーというと『彩雲国物語』も好きなのですが(これもいつかじっくり語りたいです)、こちらは少女マンガ風でライトノベルの雰囲気も強いので、十二国記シリーズのほうが万人向けかと思います。

 

王と麒麟(補佐)、管理、市井の人に至るまでさまざまな立場の目線から物語が描かれるのもポイントです。若いときは王と麒麟に感情移入しましたが、大人になってから読むと民衆や官吏の気持ちに共感するようになり、読むたびに違った視点で楽しめます。書き留めたくなる名言もたくさんあるので、手元に置いておきたい作品の一つです。

 

【五十音順・おすすめ小説紹介】25冊目 奥田英朗

おすすめ本紹介、25回目です。
この記事では著者の五十音順に、わたしのおすすめ本を紹介しています。
今回は奥田英朗氏からこちら。

 

イン・ザ・プール (文春文庫)

イン・ザ・プール (文春文庫)

 

 抱腹絶倒したいときに読む本。

 

精神科医伊良部シリーズ」の第1作目。同シリーズ「空中ブランコ」は2004年に直木賞を受賞しているので、知っている方は多いかもしれません。

  

「いらっしゃーい」。伊良部総合病院地下にある神経科を訪ねた患者たちは、甲高い声に迎えられる。色白で太ったその精神科医の名は伊良部一郎。この医者を訪ねる患者たちは、視線恐怖症、携帯依存症、陰茎硬直症など一筋縄ではいかない病理の患者たち。しかし、伊良部はその遥かななめ上をいく変人の医者だった。

 

なかなか重い精神病理の患者と、精神科医の話という前振りから、現代社会の闇とか精神病理の苦しみとかが描かれるかと思ったら全然違いました。 通常のカウンセリングなどは無意味だと拒否し、患者の話も碌に聞かず好き勝手に行動する医者・伊良部の奇天烈な言動が笑いを誘います。患者のほうがまともに見えるのが可笑しい。

実際に症状が治ろうが治るまいが、小さいことはどうでもよくなるような伊良部の自由奔放な行動にちょっと元気がもらえます。下品で自分勝手で、近くに居たら絶対敬遠するような人物なのに、悩みや病気を抱えた人と意外と相性がいいのではないか、自分も1回くらいこんな変な先生に相談してみたい、と思いました。

 

 自制が強く求められる大人だって、ちょっとだけ自分を解放して許してあげようかと思える読後感がこの小説のいいところです。全5話の短編集なので、疲れずに読むことができます。感動する物語や、社会に強いメッセージを発する本もいいけれど、たまには何も考えず奇天烈なキャラクターを楽しむ本もいいなと思います。

 

 

 最後に、奥田英朗を読むなら「最悪」「邪魔」「無理」の3部作ははずせないと個人的に思いますので、よかったらぜひ。転落系小説といったらこれ!という作品です。

最悪 (講談社文庫)

最悪 (講談社文庫)

 

 

 

邪魔(上) (講談社文庫)

邪魔(上) (講談社文庫)

 

 

 

無理〈上〉 (文春文庫)

無理〈上〉 (文春文庫)

 

 

【子どもの読書離れは起きているか?】"こどもの本総選挙”から考える

「小学生がえらぶ! “こどもの本” 総選挙」というイベントの結果が5月5日に発表されました。こんな面白そうなイベントなのに、毎日新聞の朝刊に載るまで気が付きませんでした。「今の子どもも結構本読んでるんだな」と思ったのですが、よく記事を読むと強烈な違和感を覚えたので、理由を考察してみました。

 

この総選挙の結果は、『子どもの読書環境が貧困である』可能性を示唆しているのではないでしょうか。

 

 「こどもの本総選挙」は、ポプラ社のこどもの本総選挙事務局主催、朝の読書推進協議会が特別協力で昨年から今年にかけて開催されました。2017年10月1日時点で、小学生である人なら誰でも「好きな本」を1冊投票できるイベントです。

 

f:id:zaramechan:20180524091831j:plain ポプラ社こどもの本総選挙HP https://www.poplar.co.jp/company/kodomonohon/ より引用) 

 

 TOP10は以下の通りです。特設ページにはTOP100まで載っています。

 

1位 『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』今泉忠明:監修
2位 『あるかしら書店』ヨシタケシンスケ:著 
3位 『りんごかもしれない』ヨシタケシンスケ:作
4位 『おもしろい! 進化のふしぎ 続ざんねんないきもの事典』今泉忠明:監修
5位 『おしりたんてい かいとうVSたんてい』トロル:作・絵
6位 『おしりたんてい いせきからのSOS』トロル:作・絵
7位 『このあと どうしちゃおう』ヨシタケシンスケ:作
8位 『ぼくらの七日間戦争宗田理:作
9位 『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』廣嶋玲子:作、jyajya:絵
10位 『りゆうがあります』ヨシタケシンスケ:作・絵

 

 総勢12万人の小学生が応募したという結果は、思っていたより多いなと感じました。2017年4月1日時点の日本の15歳以下の人口は1571万人。小学生の人口にだいたい近い6~11歳の人口は638万人なので、任意のイベントにしては参加数が多いほうかなと思います。

 

これだけ見ると、読書という行為は子どもに結構浸透しているように感じます。

ただ、結果TOP10をはじめて見たとき、わたしは強烈な違和感を覚えました。

「小学生にしては、幼くないか?」

 

その理由は

①絵本が多い

②偏っている

 の2つです。

 

①絵本が多い

まず、TOP10に4作品がランクインしているヨシタケシンスケ氏。ここ最近、絵本コーナーでは必ず見るくらい、人気のある作家です。こどもの共感が強く「クラスで盛り上がった」「そうだと思う!ということがたくさん書いてある」などのコメントが寄せられています。何歳向けなどは書いてありませんが、3位と10位は32ページとかなりページ数が少ないのが気になりました。

また、2作品ランクインしている「おしりたんてい」シリーズ。こちらは幼児向け絵本とおおよそ6歳以降向けのよみものに分類されており、ランクインはよみものから2作。ただ調べてみると、5位のかいとうVSたんていは85ページ、6位のいせきからのSOSは87ページ。

全体的に、絵本かそれに近い本が過半数というのに違和感を覚えました。小学生の投票いっても、高学年からの応募はあまり無かったのでしょうか…。

 

②偏っている

 ①で述べたように、同一作家の作品が選ばれていることが気になります。TOP10のなかで、作家は5人です。

また、もう一つ気になるのは新しい本が多いことです。10作品は2009年~2017年に発表されており、2015年以降が7作品です。特に、1位にランクインした「ざんねんないきもの事典」は新聞に載る本屋ごとの売れ筋週間ベスト10に頻繁にランクインしており、テレビなどメディアでしょっちゅう取り上げられていました。

つまり、ここ最近の話題の作家・作品に偏っており、多様性が少ないことがランキングら読み取れます。

 

 

『子どもの読書環境が極めて貧困である』とは

近年、書店数が減り続けているという統計があります。つまり、物理的に子どもが本を選ぶ環境が貧相である可能性が高いと推測できます。f:id:zaramechan:20180524102834j:plain

(日本著者販促センターHP 書店数の推移 http://www.1book.co.jp/001166.html より引用)

 実際に営業している店舗はもっと減っているという報告もあります。

全国書店数の推移 2003年~2011年 寄稿:冬狐洞隆也氏:【 FAX DM、FAX送信の日本著者販促センター 】

 

 

子ども向けの本コーナーが縮小している可能性

厳しい出版不況のなか、生き残りをかけて本屋は「確実に売れる」人気の本、新しい本を集中的に仕入れているでしょう。本屋自体が少ないことに加え、本屋で出会う本の種類と数も確実に減ってきていると考えられます。

確証はないですが、メディアで取り上げられた本を過剰に宣伝する風潮が見られることから「大人がこどもの読む本にバイアスをかけている」ため、似通った本がこどもに与えられるという現象もあると思います。

 「売れ筋の本しか置かない」となると、恐らく子ども向け本のコーナーというのは小さくなります。なぜなら、こどもの人口は少なく利益があまり見込めないから。赤ちゃん~幼児・小学生向けのコーナーが一つになっている本屋をよく見かけます。本屋にいる親子は、まず「子ども向けコーナー」で本を探すことが多いと思います。しかしそこに小さい子向けの絵本が多ければ、それを選ぶでしょう。「小学生にしては幼い」本が多く選ばれたのは、そもそも子ども向けの児童文学など、小学生が読みやすい本が本屋に置いていなかったからだと思います。このままでは、世に出回る本の多様性は、失われてしまうかもしれません。

 

わたしが小学生のときは、学校の図書室は小さく、あまり数は多くなかったけれど色々な種類の本が置いてあり、選ぶのが楽しかった思い出があります。小学生には難しすぎると思うような「戦争と平和」とか岩波文庫系の「旧約聖書物語」、星新一のショート・ショートなど国内・海外両方の有名な作品や、青い鳥文庫クレヨン王国」みたいな児童書まで多様だったのは本当に有難かったのだといまになって思います。中学校は砂漠のような無機質な図書室でしたが…。

子ども向けの本は値段が高いし、家庭によって経済状況は違うので、地域の図書館や特に学校の図書室にはぜひ頑張って多様な本を置いてほしいです。

 

 みんなで共通の本を読むのは楽しいけれど、世の中には一生かかっても読み切れないほど膨大な種類の本があります。

本が好きで投票する子どもたちには、多様で広大な本の世界をもっと知ってほしいと願わずにはいられません。

 レイ・ブラッドベリの描いたような、本のない世界が訪れませんように。

(華氏四百五十一度は外せないですよね!)