本の虫生活

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3.11から

アガサクリスティの作品?と思いきや、こと"日本らしい"、過去になりつつある東日本大震災福島第一原発事故を日常から見つめた作品集でした。

象は忘れない (文春文庫)

象は忘れない (文春文庫)

 

読む前に、この著者だから警戒をしていましたが、想定よりも気分の沈む一冊でした。

 

『新世界』では原子爆弾をつくり出した科学者の日常と狂乱を描いていたのは記憶に新しいです。純粋な興味としての科学が暴走して精神を蝕み少しずつ狂わせるのか、それとも先に狂っていたのか、現実感のない空間で粛々と進んでいく開発作業に恐ろしさが募ります。この作品で描かれた"現実感のなさ'"は、原爆という比類ない兵器で殺傷される人々のことなど、考えたこともないというような"別世界"の住人という雰囲気を感じさせます。

 

対して、本作『象は忘れない』は徹底的な"現実感"を描き出しています。全5編の短編から成り、あの日あの場所に居た人々の運命の日や、当時の回想という形で語られる生々しい"現実"が、わたし達をあの日へと連れて行きます。

 

【構成】

1.道成寺原発作業員の"あの日"

2.黒塚…放射性物質の予想外の飛散

3.卒塔婆小町…県外避難と壊れた日常

4.善知鳥…米軍機密訓練

5.俊寛ん帰還困難地域

 

能楽仕立てになっている各話は、聞いたことのある昔話が現代に改題されて甦るような、恐ろしい話になっています。

最後まで語られない、切り取られた彼らの日常だけが描かれる物語は、原発事故という現実が、起きてしまった世界最悪の原発人災が、まだ終わっていないということを想起させます。被災地から離れて暮らすほど、過去のこととして忘却し、関係ない出来事として気にもかけずに毎日を生きてしまいます。そういう人に対して、全然終わっていないのだと、見て見ぬ振りをしたところでなかったことにはならないのだと、鋭く斬り込むような、じわりと浸食するような、後に残る小説でした。

 

もうすぐ9年。

ニュースで消費される前に、

適当に思い出す前に、

この小説を読んでみたら、何か違う想いを抱くことになると思います。