本の虫生活

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LINEアカウントが消えた

最近、思ったよりショックなことがありました。

 

友人とかつき合いの多い方ではないし、引っ越しやら進学やら転職の度に人間関係がリセットされることが多かったから、別に大丈夫で思っていました。

なのに。

たかがLINEアカウントが消えただけで、立ち直るのに1か月近くかかりました。

 

辛いとかショックという感情より、そういう感情が芽生えたこと、そして割と引きずったことが自分では意外で、興味深くもあったので記事として記録を残すことにしました。

 

LINEアカウントが消えた日

 

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「あれ?」

充電が終わる頃合いのスマホをケーブルから引き抜こうとしたとき、予想外の熱に指を引っ込めた。

偶に使いすぎると熱くなるけれど、充電後にここまで熱くなるのは珍しい。その日はちょっと引っかかりながらもいつも通りツイッターを開き、はてなブログアクセス解析に一喜一憂するうちに時間が経ち、次の日の準備を慌ただしくして布団に潜った。

転職したばかりで、毎日覚えることだらけの生活は慌ただしく、最近は働いて帰って寝るだけの毎日。このブログも更新する気力が湧かないのが目下の悩みだったりする。別に更新しないことで誰も困りはしないけれど、何となく習慣になっているブログが書けないことは地味にストレスになる。書きたい気持ちばかり膨れるけれど、今は新しい環境に慣れる方が優先だからと自分に言い聞かせて、なんとなく焦燥を抱えた地に足の着かない日常を送っている。

指先の熱さに驚いた日から数日。毎日充電すると熱くなり、電池の消耗も前より早くなったスマホに違和感を覚えつつも、社用ケータイと私用スマホの2台を毎日充電する煩わしさにかまけていて、特に修理とかは考えてもいなかった。それでもちょっとは気になっていたから、動画とか音楽を聴き過ぎないようにとか、全然使っていないアプリを消したりとかしてみたけれど、だんだん電池の減りが急激になり、ついにその日がやってきた。

 

「何これ…」

3時間以上充電ケーブルに繋いでいたから外そうと思って近づいたとき、スマホの画面が白く光っていた。起動するときに表示される、齧られた果物のマークが触ってもいないのに中央に浮き出ていて、さすがに異変を感じた。急いでスマホを(iPhoneって打つのがめんどくさい)手にとってホームボタンを押しても、なにも反応しない。

怖いから一晩そのままにして、家にスマホを置きっぱなしにして会社へ出かけた。時間がないし、帰ってから修理に出せるショップを検索しようと思っていた。

 それが、生きてる前スマホを見た最後だった。

 

 

ここまで書いてからちょっと恥ずかしくなる。

なんで小説(エッセイ?)調にしたかというと、こっちの方が時系列でわかりやすいからという理由だった気がする。でも想像以上に何か恥ずかしい。むしろ小説書くぞ!って感じで書くときの方が恥ずかしくない。過去にちょろっと小説を書くサイトに投稿したことがあるけど、あれも今思うとよく衒いなく書けたものだと思う。なんだか妙に恥ずかしい。そういえば、1年くらい前に書いたあの小説は未完だったとかどうでもいいことまで思い出す。その話題は思い出すのはやめよう。

 

しかしここまで書いたのだから、気を取り直して続きを書きます。

 

(続き)

タイムカードを切った後に話しかけられて、うっかりサービス残業をして(こういう日はままあるけれど、もしかしてブラックなのかな。昼休みも長くて15分くらいしか取れてないし…)から溜息とともに帰宅する。そういえば、スマホどうなったかなと思いだして、置きっぱなしにした机を振り返る。

ひんやりとした感触と黒い画面を確認し、何の気なしにホームボタンを押して、何も変化が起きないことに首を傾げる。

おかしいな、充電完全に切れたかな。そう思って充電ケーブルを差した。けれど結局、その後スマホに電源が入ることは二度となかった。

そのあとはまあ色々焦って方法を探したけれど、修理代金が4万円近くかかること、それでも直る保証はないこと、手元に戻るまで3週間かかることなどを知り、新しいスマホに買い替えることにしました。仕方ない。出費は痛いけど不便だから。そう思っていたのはまだ余裕があった。

 

LINEの復旧ができないことに気が付くまでは。

 

LINEは、わたしは大学生のときから使いはじめた。最初は皆が使っているものとか流行に対する偏見や反感が少しあって、皆よりちょっと遅れて使いはじめた。天邪鬼というか、単にメンドクサイ偏屈な人間だと自分でも思う。メールとは全く違う情報の伝達速度、特にメーリングリストではできない即時の双方向伝達に、あっという間にヘビーユーザーになった。少し前まではなかったとは思えないほど、現代人はLINEに依存している。少なくとも、わたしはそうだった。

以前、パソコンで開いたことがある記憶を思い出し、ログインを試みるもできなかった。以前落としたLINEのアプリを何故かアンインストールしていて、電話番号でログインしようとしても、肝心のスマホが反応しないため、ショートメッセージを受信できない。メールアドレスでログインしようとしても、スマホアプリのLINEに認証番号を打ちこまないとログインできない。Facebook連携もしていない。ネットやLINEのお問い合わせフォームまで情報を探し回り、それでも復旧できる可能性がほぼないことを知り、軽く絶望した。

 

たかだかアプリひとつ無くなっただけで、ここまで打ちひしがれる自分に衝撃を受けた。

 

本当は、MNPで番号を引き継いでいれば、トーク履歴は復元できないとしてもアカウントを復活することはできたとも思う。でもパスワードもうろ覚えで何度も弾かれたり、MNP転出番号発行に時間がかかったり、いろいろ試行錯誤することに疲れてしまった。友達や知人の連絡先が消えるのが不便といっても、そもそも人間関係が煩わしいのが厭で、学生時代の友人数名意外とほぼやり取りしない自分に、そこまで必要だろうかと考えてしまった。転職もしたし、前の職場の同僚は全国転勤で顔も見なくなっていたから、特に連絡が取れなくても何とも思わない気もした。

なのに。

何年も連絡を取っていなかったり、今後も連絡することはないと思うくらいの人間関係でも、消えると思うと怖くなって手が震えた。今はもう、めんどくさいグループラインの未読や既読スルーについて悩むことがなくて楽だな、とか。抜けるタイミングを失ったグループラインと縁が切れたからほっとしたとか、そう思う程度で。過去の、特に大学時代とかの昔の想い出にすがりたくて、よすがに持っていたくてあんなに苦しんだのだなと今は思う。でも失くしてみえば、別になんてことはなかった。

 

というのも、本当によく連絡を取ったり親しくしている人は、Twitterやインスタなど他の媒体でつながっていたり、一人を経由して複数人と連絡が取れたりしたから。

露骨に人間関係の清算をしたようにも思えて、ちょっとばつの悪い気分だけれど、なにか吹っ切れた気がする。本当に親しい、連絡を取りたい人と連絡が取れなくなるのは辛いけれど、過去の想い出や栄光にすがる気持ちで連絡先をキープしていた人も多かったのだと気が付くことができた。そもそも、わたしと連絡が取れなくなったことに気がつく人はそんなに多くないだろう。

自分の未練がましいところを思い知り、気恥ずかしくて情けないけれど、ちょっとだけ大人になれた気がする。

 

‟友達”が10分の1くらいになったLINEホームを見てそう思った。