本の虫生活

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『車輪の下』から見た景色

夏休み新潮文庫100冊の定番、『車輪の下』を読了しました。

 

あまりにも有名なため、あらすじも知っていて読んでないのに読んだような気になる本のひとつで、ようやくちゃんと読めました。

300頁に満たない短い作品ですが、鬱屈した仄暗い雰囲気と、少年の目を通して描かれる美しい風景描写の対比が心に残る、内容の濃い物語でした。

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

 

 古い小さな田舎町で、父親と二人で暮らしている少年ハンスの苦悩の日々とその短い生涯を描いた、少しダークな青春小説です。

他の子どもたちより『勉強が得意な』少年ハンスは、周囲の大人たちから過剰な期待を寄せられ、毎日勉強に明け暮れていました。凡庸な自分と違い、立身出世するだろう息子に期待をかける父、町から優秀な人材を輩出できると息巻く学校の校長、そして牧師をはじめとする町の人々、…。ハンスは周囲から特別な人間として扱われ、試験に合格して名門神学校に入学することを目標に只管勉強に励み、ついに念願の神学校へ優秀な成績で入学することになります。しかし、そこではハンスの柔らかく傷つきやすい精神を揺るがす出来事が次々と起こり、ハンスは坂を転げ落ちるように挫折を味わうことになり…。

 

秀才だけれど天才でない、散歩と釣りが好きなふつうの少年ハンスが、町中の大人に期待をかけられ、入試まで勉強漬けの毎日を送る前半部分の描写は、自分の受験時代を思い出してほろ苦い気分になりました(わたしはハンスほど勉強しなかったし、できませんでしたが)。

日の光もろくに浴びず、やせ細って頭痛に悩まされる不健康な少年ハンスは、入試を受けるときも不安ばかりで、暗記した内容を忘れたと思って青くなり、全然できなかったと塞ぎ込みます。そういう描写は現代の受験戦争にも似ていて、いつの時代も子どもに過度の負担を強いる悪習があるのだと、ちょっと陰鬱な気持ちになりました。受験や勉強はわたしは悪いものだとは思っていないけれど、本人の意思より大人がヒートアップしてしまうのは、やっぱり違う気がします。

 

話が逸れました。

小説に話を戻します。

この小説のエグいところは、ハンスが単純に大人に翻弄された哀れな子羊で、絶望するしかなかった『可哀想な子ども』ではなかった(とわたしは思います)点に尽きます。

確かにハンスは親や町の大人たちに勉強を強いられ、ある種自由のない生活を強要されていましたが、決して厭で仕方なかった訳ではなかったと推察できる描写がたびたびあります。

だが、同時にまた、奪われた子どもの遊び以上に値打ちのある時間をここで味わうこともあった。それは、得意と陶酔と勝ち誇った気持ちにあふれた、夢のような、なんともいえないものだった。そういうとき、彼は夢うつつのうちに学校も試験もなにもかも越えて、一段と高いものの世界にあこがれひたるのだった。そうすると、自分はほおのふくれたお人よしの友だちとはまったく別なすぐれた人間で、いつかはきっと人界離れた高いところから得々と彼らを見おろすようになるだろうという、思い上がった幸福感にとらえられた。

 (「車輪の下」新潮社 ヘッセ著 高橋健二訳 p21より引用)

 

人より優れている(と思い込む)ことで得られる優越感に浸ることは、誰しも持っている平凡な感情です。けれど、上記のハンスが持っていた‟思い上がった幸福感”はすこし違うと感じます。社交が不得意で友達が少なかったり、運動が苦手だったりする子どもが勉強に打ち込み、周囲に嘲られたり相手にされなかったことで蓄積された劣等感を成績で見返す、という構図が見えてきます。勉強以外のことで冷遇された抑圧がある分、この種の‟幸福感”はとても魅力的で、成績が落ちてその力を失うことを強く恐れるようになるとも考えられます。

ハンスは苛められていた訳ではないし、神学校を辞めて町に帰ってきた後に友人もいますが、それでも彼が悲劇的な結末を歩んでしまったのは、周囲の大人の期待を裏切ったという罪悪感だけでなく、この‟幸福感”を失った敗北感を強く感じた所為かもしれません。

 

 しかし、ハンスは秀才や天才たちの集まる神学校で挫折し、町へ帰ってきたあと絶望しかなかった訳ではないと思います。学校という狭い世間を出て恋を知り、失恋の痛みと悲しみを知り、苦痛を感じながらも労働の喜びも感じ始めていました。

大人達が寄せる過剰な期待と自身の自負心という重い『車輪』に擦りつぶされた、一見哀れな人生でも、車輪の下から見える景色は本当にそんなに悪かったのでしょうか。ハンスの心の描写は不安定で陰鬱だったけれど、ハンスの目を通して描かれる景色はとても瑞々しく、きれいなものでした。きっと、もう少し少年の苦悩を受け止める大人や友人がいれば、柔軟な少年の精神は新しい道にも順応し、違った幸福を見つけられたのではないか。そんな風に思います。