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【百鬼夜行シリーズを読み解く】②偶像とシンクロニシティ

京極夏彦百鬼夜行シリーズについて1作品ずつ語っていく記事第2弾です。

シリーズ2作目『魍魎の匣』に挑戦してみました。

 

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

 

シリーズの中でも評価の高い本作は、ミステリとしても1作目より読ませるところが多く面白いです(猟奇的な描写が苦手な方にはちょっと不向きですが…)。また、犯罪や宗教、心霊や超能力に関する鋭い考察や、1作目より磨きをかけてきた民俗学関連の蘊蓄、ぞくっとするような人物描写も冴えています。今回もテーマを軸に作品の読み解きをしていきます。大いにネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。

 

読み解きのテーマは『偶像とシンクロニシティです。このテーマに沿って以下のトピックごとに進めます。


①登場人物の相似形
偶像崇拝と奇跡
③まとめー日常への回帰

 

 

①登場人物の相似形

魍魎の匣』は登場人物の輪郭が際立っていたのが印象的です。箱に魅入られた寺田兵衛、科学にのめり込んだ美馬坂幸四郎、隙間を極度に嫌う久保竣公、…。どのキャラクターもバックボーンから嗜好、行動原理まで精密に描写されていて圧倒されました。

特に特徴的なのが、登場人物たちの類似性です。柚木陽子と楠本頼子については作中でも触れられています。

 「楠本頼子と、柚木陽子。このふたりの女性の両面性の相似形(アナロジー)が、事件を攪乱したことは慥かだ。…」

講談社魍魎の匣」p986より抜粋)

 作中では、この二人以外にも類似性を持つ人物たちが描写されています。それが

・柚木陽子と楠本頼子

久保竣公木場修太朗

・寺田兵衛と美馬坂幸四郎

の組み合わせです。上から順番に解説していきます。

 

・柚木陽子と楠本頼子

本編中で述べられた二人の両面性の相似形とは、柚木加菜子を中心としたアンビバレンスのことだと思います。陽子は、雨宮によって誘拐された加菜子の奪還を願いながら、加菜子発見によって狂言誘拐と遺産詐取が露見することを恐れていました。頼子は自分の来世である加菜子が亡くなれば自分は殺人者としての咎を負うと恐れる一方、回復して自身の罪を指弾されることを恐れます。引用した文は、加菜子が助かってほしい、しかし助かれば自分(たち)の罪が露見するという二人の苦悩が嘘の証言を生み出し事件を攪乱したということだと思います。ですが、この二人の類似性はここだけに留まりません。

最大の特徴は『母との関係』にあります。病気で衰えても父に愛された母を恨み、母の名を芸名で名乗ってなり代わりたいと願った陽子。老いて醜くなる母を憎悪し、代わりに加菜子を崇拝し愛した頼子。母(頼子の場合は加菜子も含む)を憎み、それでいてなり代わりたい程憧れたという矛盾する心が、二人はとても似通っています。

 

久保竣公木場修太朗

この二人はもっとわかりやすいです。幼少時から欠落感を抱え、隙間を極度に嫌う久保竣公は、作中でもメインの登場人物です。「テストなどは満点がよい」「何事も順番どおりに行いたい」と望む排他的な完璧主義者の久保と、理屈を嫌い粗野な印象の木場刑事は一見あまり似ていません。ですが、この二人は表裏のような描写がいくつか見受けられます。

隙間が空いてゐるくらゐなら、いつそ何も入つてゐない方が良い。容物と云うものは中にものが入つてこその容物で、十分有効に活用するためにはみっしりと充實させることが必要である。

さう云うことばかりが氣になる。

講談社魍魎の匣」p365より抜粋)

自分は中身の入っていない菓子の箱のようなものだー。

木場はそう思う。箱は丈夫で、外からの刺激には大層頑丈だ。表面には名前だの宣伝文句だのが世間に向けてずらずらと綺麗に印刷してある。しかし、ここぞ、という時に蓋を開けてみれば空である。箱は中身あっての箱であり、空箱の存在理由と云うのが何処にあるのか木場には善くわからない。

講談社魍魎の匣」p55より抜粋)

上の引用は久保、下が木場です。箱の中身を充実させることに固執する久保と、中身はなく外側ばかりが頑強と思い込む木場は反対のように見えて結構似ています。どちらも箱の『中身』が充実しないことに不安や怒り、据わりの悪さを感じています。そして久保は加菜子に、木場は陽子に出会うことでその運命を大きく変えていくことになります。この先は②で書いていきます。


・寺田兵衛と美馬坂幸四郎

 読み返してみて、この二人も相似形をもつと気が付きました。二人の境遇は、妻が病にかかり癒すことができなかったこと、妻子を見捨てて一人仕事に没頭したことなどよく似ています。妻子との接し方がわからず箱をつくる仕事に異様に執着した兵衛と、妻の病気を治す手立てを探すため研究に没頭した幸四郎は、仕事でも知らないうちに関わっていました(※箱館の精密機械箱のことです)。長い間妻子と音信不通になっていた彼らは子どもとの再会によって転機を迎えます。久保に支配され教祖という新しい人生を歩まされた兵衛と、陽子を支配して研究を完成させようとした幸四郎。そして最期は幸四郎(親)が久保(子)に殺され、久保(子)が陽子(親)に殺されるというショッキングな顛末を迎えます。この二人の最期が対称になっていたことにゾクッとしました。支配していた者が消え、兵衛と陽子は日常へ戻っていくことになります。これについては③で語ります。

次は②に移ります。

 

 
偶像崇拝と奇跡

 まず、テーマに掲げたシンクロニシティとは、心理学の巨匠ユングが提唱した原理で日本語では共時性(原理)ともいいます。『意味のある偶然の一致を説明する非因果的連関の原理』などと説明されます。『ある二つの出来事が全く偶然に符号する』ような状況を説明する原理で、「火事になる夢を見た翌日に隣家が火事になった」や「旧友の噂をしていたらその友人が訪ねてきた」など、神様のいたずらとも呼べるような偶然の一致には偶然を超えたなにかがある、というような説明がよくなされます(※専門家ではないので確実な知識ではないことをご注意ください)。

 作中では、シンクロニシティ、或いは神の啓示について何度も示唆されています。本記事ではこのシンクロニシティが起こった遠因に『偶像崇拝』があったのではないかと類推します。

偶像崇拝の対象

本記事で意味する偶像は『柚木加菜子』です。彼女は作中で常に他者の視点で描かれており、読者にも彼女の心の内は読めません。まさに加菜子は偶像として、内実を悟らせないように描かれたのだと思います。

頼子は彼女に強い憧れを持ち、女神のように思っていました。加菜子のかけがえのない存在(前世や来世)になってから想いは強まり、加菜子が『消え』てからは彼女の代わりのように振る舞いはじめます。

また、彼女に強い愛着を持ち人生を狂わせたのが久保竣公です。彼女と出会い、匣を満たす理想の存在を見つけた久保は、彼女のような娘が欲しくなり凶行に及びます。

彼女に魅入られ魔の領域へ踏み出したのは、雨宮も同じです。頼子、久保、雨宮はそれぞれ魍魎や奇跡を目の当たりにし、境界の向こう側の世界を覗くことになります。

・奇跡(シンクロニシティ

 シンクロニシティによって、神の啓示を受けたのは頼子と久保です。

頼子は加菜子の死や回復を恐れ戦々兢々として暮らしていたところ、『加菜子消失事件』が起こり、奇跡を目の当たりにします。普通だったら消失や誘拐など、さらに不安を煽る状況です。しかし、頼子は関口の小説を読み「屍解仙」や「羽化登仙」など浮世離れした話に精通していました。その上、加菜子本人から「月の光を浴びて生きるのを止める」等、この状況を示唆するような思わせぶりな発言を聴いていました。この符号によって、頼子は加菜子の消失を奇跡と信じ込み、名実ともに『加菜子の生まれ変わり』として人生を歩むことになります。

久保は、幼少時から抱えていた心の隙間を埋める『奇跡』を加菜子に見ます。知識を詰め込んでも、箱に囲まれて暮らしても、父に訴えても埋まらなかった欠落感を匣に入った加菜子に見出します。久保が元々持っていた資質である箱への執着と、御筥様という箱に神性を付加した存在があったからこそ、加菜子を見て『奇跡』と感じたのだと思います。

犯罪は動機や生い立ちに全て原因があるわけでない。『その瞬間』が訪れたことで起こってしまうのだという京極堂の主張は作中で何度も強調されています。

非常識な扉を開ける契機があって、それを実行しても良さそうな雰囲気を持った御筥様なんて云う特異な環境が出来上がって、初めて犯罪は成立したんだ。犯罪は、社会条件と環境条件と、そして通り物みたいな狂おしい瞬間(ひととき)の心の振幅で成立するんだよ。久保は偶遇それと出合ってしまったのさ。それだけだ

講談社魍魎の匣」p834より抜粋)

なぜ『その瞬間』が彼らに起きたのか。頼子や久保の内面描写、屍解仙や御筥様という巧みな伏線によって『その瞬間』に至る経緯が描き切ってあることに気づき、記事を書きながら戦慄しました。小説がここまで周到に書かれていることにただ驚きです…。

 

 

③まとめー日常への回帰

 物語は終盤にかけて、京極堂の『憑き物落とし』を中心に急激に幕引きに向かいます。『姑獲鳥の夏』でもそうでしたが、シリーズでは日常への回帰を持って終幕となります。最後と冒頭が繋がり、円環のように閉じて日常へと戻ってくる描写は、小説の技巧というだけでなく作者の意図があるように思います。非日常的な事件はすべて終わり、特異な体験をした関口たちは徐々に日常生活に戻っていきます。彼岸へと去ってしまった者たちに思いを馳せ、悼むことで彼らと自分たちの境界を区切って、異常な時間は終わりを告げます。物語の最後が穏やかな日常になることで、境界に魅せられていた読者も日常へと回帰します。

ただ、彼岸から戻ってこない者もいます。事件で亡くなった者たちと雨宮です。

最後に加菜子を攫っていったのが雨宮というのがずっと気になっていました。雨宮は加菜子と同様、モノローグが描かれていません。何を考えていたのか、どう生きたのかも定かでない彼によって偶像(加菜子)は彼岸へと連れ去られてしまいます。ただ一人、生きながら彼岸へ到達した彼にモノローグが無いのは意図的な描写だと思います。彼岸に行った者は此岸の理屈では理解ができない。だから彼には内面の描写がなかったのでしょう。

境界に触れ、シンクロニシティを味わい、惑わされる者は作中にたくさん存在します。しかし真実、生きながら『彼岸』に到達したまま戻ってこなかった者は雨宮だけでした。これは彼岸に行くことは難しく、アクシデントで踏み越えてしまっても、日常に戻ってきてしまうものだという作者の主張なのではないでしょうか。

 「雨宮は、今も幸せなんだろうか」

「それはそうだろうよ。幸せになることは簡単なことなんだ」

京極堂が遠くを見た。

「人を辞めてしまえばいいのさ」

 講談社魍魎の匣」p1048より抜粋)

 境界は日常のすぐそばにあり人を惑わすけれど、境界を越えて『幸せ』に到達することはほとんどない。だから、関口も読者であるわたしたちも、境界を踏み越えた雨宮にどこか憧憬を抱くのでしょう。

なんだか酷く、彼が羨ましくなってしまった、と。

 

 

 

 ・参考文献

共時性の深層―ユング心理学が開く霊性への扉

共時性の深層―ユング心理学が開く霊性への扉

 

 

ユングと共時性 (ユング心理学選書)

ユングと共時性 (ユング心理学選書)

 

 

偶像崇拝の心理

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