本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

【五十音順・おすすめ小説紹介】46冊目 フェルディナント・フォン・シーラッハ

おすすめ本紹介、46回目です。
この記事では著者の五十音順に、わたしのおすすめ本を紹介しています。
今回はフェルディナント・フォン・シーラッハ氏から2冊。

犯罪 (創元推理文庫)

犯罪 (創元推理文庫)

 

 著者は刑事事件専門の弁護士として現在も活動しながら作家としても執筆を続けている異色の作家です。日本では、2012年に本屋大賞「翻訳小説部門」第一位に選出された『犯罪』をはじめ、最近も長編『禁忌』が文庫で刊行されたばかりで、じわじわと人気が出てきつつあると感じます。著書の多くは、著者の弁護士としての豊富な経験に裏打ちされた犯罪小説が多く、フィクションながら臨場感に満ちた迫力を感じる作品が多く魅力的です。

今回紹介する『犯罪』は、タイトルの通り様々な犯罪を犯した人たちが主人公の短編集です。長年連れ添った妻を殺害した夫、重体の弟を介護の末殺した姉、‟正当防衛”で相手を殺した男、…。短いストーリーのなかにそれぞれの人生が凝縮して描かれており、彼らが『犯罪者』としてずっと生きていた訳ではない一人の人間であることが感じられます。静謐で簡潔な文体が語られない‟行間”を引き立たせ、人間の複雑さを醸し出しているのが見事でした。読み終わった後、序の言葉が胸に澱のように沈みました。

私の話に出てくるのは、人殺しや麻薬密売人や銀行強盗や娼婦です。それぞれにそれぞれがたどってきた物語があります。しかしそれは私たちの物語と大した違いはありません。私たちは生涯、薄氷の上で踊っているのです。氷の下は冷たく、ひとたび落ちれば、すぐに死んでしまいます。氷は多くの人を持ちこたえられず、割れてしまいます。私が関心を持っているのはその瞬間です。幸運に恵まれれば、なにも起こらないでしょう。幸運に恵まれさえすれば。

東京創元社 フェルディナント・フォン・シーラッハ著 「犯罪」p12より抜粋) 

 

 

コリーニ事件 (創元推理文庫)

コリーニ事件 (創元推理文庫)

 

 2冊目はこちら。ある犯罪で捕らえられた男をめぐる裁判を描いた長編小説です。

本書の根幹をなす‟ある事実”の披歴がきっかけで、ドイツ連邦法務省が省内に調査委員会を立ち上げたという「小説が政治を動かした」驚異の逸話があります。

しかし、センセーショナルな逸話を抜きにしても『犯罪』や『罪悪』では描かれなかった手に汗握る法廷劇、弁護士や遺族の葛藤など、短編とは違った味わいの作品に仕上がっていて面白かったです。200頁に満たない、長編にしては短い作品ですが、主人公の弁護士とともに何日も過ごしたかのような濃密な読書ができました。

法廷劇の面白さはバリンジャーの『歯と爪』を思い出しました(こちらもある‟仕掛け”で有名な作品ですが、本編の法廷劇は機智に富んでどちらに転ぶかわからない論戦が楽しめます)。

そっけないくらいに削ぎ落された文体は、登場人物たちの心の機微をより鮮やかに浮かび上がらせます。簡単には知ることのできない‟人の心”を、描かないことで描く緻密な文章がとても心に残りました。