本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

【五十音順・おすすめ小説紹介】29冊目 川上未映子

おすすめ本紹介、29回目です。
この記事では著者の五十音順に、わたしのおすすめ本を紹介しています。

前回に続けて小説ではないですが、小説のようにも読めるエッセイで気に入っています。
今回は川上未映子氏から。

 

きみは赤ちゃん (文春文庫)

きみは赤ちゃん (文春文庫)

 

 赤ちゃんを産むって、すごいことだ。

 著者自身の妊娠・出産、そして子育ての体験を綴ったエッセイ。

産婦人科で妊娠がわかってから、つわり、マタニティ・ブルー、出産準備、いざ出産までの心と身体の変化を赤裸々に書いた「出産編」と、産んでから母乳育児、産後クライシス、夫婦の危機、仕事と育児、保育園入園、そして1歳の誕生日までを書いた「産後編」の2部構成で、著者の実感のこもった日記風に書かれています。

 

作品の引用から、ちょっと中身を紹介していきます。

しかし物心ついたときからものごとの暗い面をさらに暗い色をした眼鏡越しにみつめ、ネガティブさにかけては人後に落ちないという自負のある、いわばネガティブ・ネイティブたるわたしである。これまでの人生、まずはつねに最悪のシーンを想像し、明日は今日より悪くなるに決まっている、そしてよいことがあれば必ずわるいことが3倍返しでやってくるというサイクルを信じ、よくわからないけど魂のどこかをあきらめながらしずかに鍛えてきたという実績がある。

 序盤からこんな感じで、著者の感性全開の妊娠体験記が綴られていきます。このネガティブさはさすがに凄まじいけど、物事をまず悲観的に見てしまう、明日は何か悪いことが起きるという思いはわたしも小学生の頃からずっと持っていたので、「こういう人もやっぱり居るんだ」と妙に安心してしまいました。

 この調子でいくと、不安と悲観に満ちた体験記なんだろうと思って全部読んでみると、それだけではなかったことがよくわかりました。

自分より上のネガティブ・ネイティブを自負する著者が、困難と不安に溢れながら赤ちゃんを産むことの感動を素直に書いていることに勇気づけられました。苦しみはたくさんあるけど、それだけじゃないというメッセージは、子どもを持つこと自体が苦しみのように扱われかねない現代社会の多くの人に、エールを贈ってくれると思います。

 

次に興味深かったのは無痛分娩で出産に挑む体験談。日本ではほとんど普及していない方法なので、体験した記録を読めるのは結構貴重で参考になります。自分で考えて決めたことなのに、高額の負担もしているのに、なぜか世間に後ろめたく感じてしまう。そういう妊婦の複雑な気持ちを垣間見ることができました。

無痛分娩にぜったい必要な麻酔医の確保と、設備の費用、というのが高額の理由のツートップ。それはまあわかるのだけど、なぜ欧米では同じ条件でそれほどまで高額にならず、その結果、一般的な選択肢として無痛分娩が普及しているのに、日本ではそんなふうにならないのだろう。

(中略)

「おなかを痛めて生んだ子」

「痛みを乗り越えてこその愛情」

とか、その手の信仰を疑わないところで出産まわりの設計が長らくできあがってきていまもずうっと維持されているから、経済面&精神面の両方において、妊婦にはそもそも選択肢もないというか、そんな状態ではあると思う。

 

最後に読んでいて一番ショックだった部分について。出産を経験していない人は一度が考えたであろう疑問。「出産って、そんなに痛いの?」

その答えのひとつが本書のなかにちらりと載っています。

するとそこには、人間の感じる痛みの痛さの順位、みたいな図が表示されてあるのだった。

(中略)

院長「指を切断するのが、人間の最大の痛み、といわれているのです!」

 妊婦たち「(そ、そうなんだ‥‥‥)」

院長「で、出産がどのあたりかというと?」

妊婦たち「(‥‥‥ごくり)」

院長「それは~、」

妊婦たち「(‥‥‥‥‥)」

院長「ここっ!」

つぎの瞬間、院長は思いっきり腕をのばして、その<指の切断>の、はるかはるかうえの、もうほとんど枠外といってもいいようなポイントを半ばジャンプするようにペンで猛烈にアタックしたのだった。

 

人間が感じる最大の痛みの遥か上って、もはや拷問じゃないのだろうか。

読んだ瞬間、体温がちょっと下がったのを感じました。

(世のお母さんたち、凄すぎる…)

昔指を骨折したときでさえとても痛かったのに、切断なんて考えただけで寒気がします。それ以上の痛みを「みんな経験したんだから」とか「病気でもないのに大げさ」とか、「安産ならよかったじゃないか」とか、外野が無神経に言ってはいけないということはよくわかりました。

 

例えば、自分が「命に別状はないから麻酔なしで開腹手術をしていい?」とか「大丈夫、他の人もやってるから!」とか言われるような感覚ではないのだろうか。もし元通りくっつくとしても、わたしは「みんな我慢してるから」とかいう理由で指を切断する気には絶対なりません。

自分が産むとしたら、こんな事実を知って産みたいと思えるのだろうか。やっぱり、もう少し常識的な痛みで済んだらいいのにと思ってしまいます。無痛分娩について日本では活発に議論されていないけど、安易に「必要ないだろ」とか「危険だからやめるべき」とかバッサリ切り捨てないで、真剣に正確な情報を集めて議論するべきだと感じました。

こんな尋常じゃない痛みに耐えるのが「ふつう」なんて、ちょっと冷静じゃないと思います。

 

出産方や産後の仕事の両立など、重たいテーマを書いていますが、この本は「辛い」ことだけを伝えるものではないです。新しい命への敬意と感動、赤ちゃんへ「きみに会えてほんとうによかった」という気持ちがひしひしと伝わってきます。当事者じゃなくたっていい。赤ちゃんが生まれるという奇跡を社会全体で大事にして、祝福できればいいなという明るい気持ちになれる1冊でした。