【おすすめできない】わたしの読書感想文
世間はいつの間にか夏休み。
周囲はお休みを取り始めたり、行楽らしき人を駅で見かけたりすると、夏休みがはじまったことを感じます。
自分の仕事は夏休みを一斉に取らないので、お盆もふつうに働くと思いますが、この時期のお祭り感は嫌いじゃありません。
特に夏休みを謳歌する子どもの姿を見ると、自分の子ども時代を思い出して少し懐かしくなり…はしません。
子ども時代といっても、小学生のときの無邪気な思い出より、受験地獄だった中学生以上を先に思い出してしまうので。今となってはいい経験でしたが、学校と塾の大量の宿題をさばき、連日塾に通って休みの日は図書館で勉強、…という勉強漬けの毎日は、遊びたい盛りの中高生にとってはかなりきつかったです。
それで、鬱憤を紛らわす意味で読書にはまったのかもしれません。
あまり勉強していなかったら、友達と遊んだり部活に励んだりして、本など顧みることもなかったと思います。勉強に疲れたら自習に行く振りをして図書館で好きな小説を読みふけることが、当時のささやかな楽しみでした。
そんな中高生時代。無駄に闘志を燃やして取り組んだのが『読書感想文』です。
大して読んでもいないのに、クラスメイトよりは上だと一端の読書家を気取っていたあの恥ずかしい十代のころ。読書感想文は、他の宿題とは違って異様に気合を入れてとりくんでいました。
つまり、他の同級生が絶対読まないような小難しくてカッコイイ本を選んで、人より抜きんでた感想文を書いてやる!と意気込む、今思うと自意識過剰な恥ずかしい学生でした。
十代なんて自意識過剰で自分を過大評価してしまうところが誰しもありますが、あのころの自分を思い出すと、赤面するくらい恥ずかしい自惚れ野郎でした。
この恥ずかしさについて語っていると終わらないので、話を戻します。
中学の3年間で、わたしが読書感想文に選んだ本は以下の3冊です。
①中学1年
『変身』 フランツ・カフカ著
- 作者: フランツ・カフカ,Franz Kafka,高橋義孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1952/07/28
- メディア: 文庫
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海外小説ってだけでかっこいい!と思っていた当時。
海外小説なんて、小学校5~6年でハマっていた児童文学(過去記事でも書いてます!)くらいしか読んだことがなかったのに、何故いきなりカフカを選んだのか。
全く記憶にないですが、はじめて読むカフカに「???」となり、何度読んでも小説の意図がわからず、とりあえず原稿用紙のマスを埋めるのに精いっぱいだったのを覚えています。たった1枚の原稿用紙を埋めるのに何時間かかったかは覚えてませんが、ただ見栄と自己満足のためだけによくチャレンジしたなとは思います。
読むのはいいと思いますが、中学生が読書感想文に選ぶにはちょっとハードルが高かったかもしれません。
②中学2年
いろいろ拗らせていた中学2年。俗に厨二病なんて揶揄される十代の多感な時期で、自分に理解できないくらい難しい本を読むのがステータス、くらいに思っていた気がします。正直、当時この本を読んで面白いとは思えませんでした。難しかったので。
この頃ほかに読んでいたのが浅田次郎のプリズンホテルとか、宮本輝の流転の海とか、北杜夫の輝ける碧き空の下でとかだったので、内容を考えて先生に見せにくいなと思って『天平の甍』にした訳ですが、そんなのは言い訳で「甍」っていう語感がかっこいいから選んだような気もします。地の文がまずとっつきにくくて、戦国時代とか江戸ならまだしも、遣唐使など教科書でちょっと見たくらいしか記憶がなかったのに、よく読んだなと思います。わたしは一体何を書いたのか覚えていませんが、背伸びして書いた支離滅裂な感想文を受け取った中学1、2年のときの国語の先生は、読みながら噴き出したかもしれません。おそろしい…。
③中学3年
『国銅』 帚木蓬生著
中学3年間の間で一番さらっと書けた感想文でした。
なぜなら、本当に時間がなかったから。
なぜ3年のときだけ2冊載せているかというと、受験の天王山とか言われる多忙な中学3年の夏に、なぜか2種類の読書感想文を書いたからです。
最初は『華氏451度』で書いて、受験勉強で忙しかったので不満は残りましたが7月中には片付けたのでそのまま放っておきました。「焚書」というハッキリしたテーマがあって、内容は深掘りできなくとも感想文を書くだけなら何とかできたので、今年は安泰と思っていました。
しかし、塾の夏期講習も夏休み後半には大体落ち着き、さて学校の宿題の残りを片付けるかと見直していたとき、読書感想文を読み返したのが失敗でした。
ド素人、しかも文章を書くのに慣れていない中学生の雑文など、読み返したら絶対に粗がでてきます。どうせ皆そんなものなのだから、諦めればよかったのに無駄な自尊心をくすぐられ、夏休み残りわずかになって、全面書き直しを決めました。
何度か推敲して書き直していたのですが、なまじ好きな本だったたけに全然気にいらず、結局本ごと変えて最終日夜まで書き続けるというアホなことをしてしましました。その時間があるなら、もっと受験勉強をしておけばよかったなあと思います。そういう地道な努力がもうちょっとできていれば、入る学校は変わったかも、そして人生はまた違ったものになったでしょう。
とはいえ、読書を優先した自分がいるから、今でも本好きなのだと思うので、これはこれでよかったと思います。
提出のギリギリまで2枚の読書感想文を見比べ、結局『国銅』の方を提出しました。思い入れの在り過ぎる本や、すごく好きな本は逆に冷静に書けないので、選ぶものじゃないとこのとき思い知りました(国銅も面白かったですが、当時は華氏451度が好きだったので)。
中学校の読書感想文は、人生ではじめて文章に熱を注いだ経験でした。
見栄を張って書きにくい本を選んだなあと思いますが、まだ『グインサーガ』とか選ばなくてよかったなと思います。当時のわたしだったら選びかねないので。
次の記事では、テーマごとの読書感想文おすすめ本とか、夏休み向けおすすめ本とか書こうかなと思います。
結婚、ってなんだろう
周りの結婚ラッシュがはじまった。
職場の同期や先輩、大学時代のサークル仲間、そして小学校来の友人まで、ここ1、2年で次々と結婚していく様を見ると、ほんとうにラッシュってあるんだと普通に驚きました。
今日紹介するのはこの本です。
結婚をしてもしなくても、‟わたし”の尊厳は変わらない。
そんなメッセージを感じました。
本書は、女性学、ジェンダー研究者として有名な上野千鶴子氏と臨床心理士として数多くの女性のカウンセリングを行ってきた信田さよこ氏の対談集です。恋愛、性、結婚、…。女性の側から見た結婚にまつわるあらゆる諸問題を徹底的に語りつくす、ちょっと過激で鋭く、考えさせられる1冊でした。
もともと本書は2002年の対談が元となっていて、20年近く前に話された内容だというのに、いま読んでもそんなに古くないところが恐ろしいともいえます。書かれている内容など、もう解決済みであるとか、こんなの昔の話だよねと笑えたらよかったのに、ちょっと悲しいくらい問題が問題として残ってしまっている。結婚にまつわる解消されない不平等や、仕事との両立などずっと前からある問題が解消されないのはなぜか。社会の構造や人々の意識、文化に切り込み解き明かしていく本書は、読んでいてすこし痛かったけど、読み終えたあと心が軽くなった気がしました。
現代の女性はみな感じていることかもしれないけれど、わたしは、結婚というのはしてもしなくても、考えるだけで少し重苦しい気持ちになります。
結婚しないというと、家族や社会に責められているような気がする。
周りが次々と結婚すると、していない自分は間違っている、劣っているように思える。
子どもを持たないというと、義務を果たしていない罪悪感を覚える。
一生独身だと、この後ろめたさを一生感じ続けるのかと気分が暗くなる。
結婚するというと、今までの自分の人生を捨てるような気持ちになる。
やりたい仕事や趣味を削って、子育てと時短の仕事を両立しないといけない。
自分の名字を捨てるのは当然である(夫に名字を変えてくれとはいえない)。
育休を取るのも、時短勤務や仕事の変更(残業できないため)をするのも女のわたしがやるべき。
こんなことばかり考えてしまい、今後結婚するにしろしないにしろ、苦しみを背負っていかなければならないのかと暗澹たる気持ちになります。
だから、普段は努めて考えないようにして、仕事と趣味に打ち込んで、できるだけ避けて過ごしています。
この本はそういう、わたしが避けて通った道について議論を重ね、どうして辛いのか、どうしたらいいのかを真剣に話し合っています。
避けているから辛いのかもしれない。読んでみると、漠然と厭だと思っていたものの正体が見えてきました。自業自得としかいえない辛さもあると突きつけられ、「自分のことだ」と刺さりながら読み進めましたが、最後まで読むと不思議と気分が浮上しました。
ちょっと内容が容赦ないので、読んだときはダメージを喰らうかもしれませんが、冷静読んでみると収穫の多い本です。
結婚してもしなくても、わたしはわたし。
自分の尊厳を持つことが、結婚するかどうかよりもずっと、大事なのだと思わせてくれました。
横溝正史を読む
ほぼ10年ぶりに横溝正史を読んだら、まんまとハマりました。
昭和の生糸王、 犬神佐兵衛の遺言状に端を発する凄惨な連続殺人事件に名探偵金田一耕助が挑む、日本のミステリ史に名を馳せる作品です。
戦後間もない昭和中期。生糸産業を興して一代で成り上がった犬神佐兵衛のセンセーショナルな遺言から、物語ははじまります。腹違いの3人の娘とその息子たち、佐兵衛翁の恩人の美貌の孫娘、謎に包まれた悲劇の隠し子、…。昔の事件を彷彿とさせるような気味の悪い殺人事件は、佐兵衛の過去の秘密が暴かれることで更に加速していきます。現在の事件と過去、そして登場人物たちの抱える秘密と嘘。すべてが重なり合い、謎は深まり続けるが、…。
横溝正史の生み出した名探偵、金田一耕助シリーズのなかでも有名な本作。ちょっと古めかしく、今読むと時代がかっていますが、ミステリとしては硬派なくらい骨太に感じました。派手な演出もワクワクさせられますが、何より伏線の妙に驚かされます。
正直なところ、あまりにも有名な作品であるし、至るところでオマージュされているだろうから、ミステリとしては楽しめないんじゃないかと思っていました(先にネタバレを踏んでいるようなものかな、と)。しかし、全然杞憂でした。
ふつうに、ミステリで騙されたのは結構久しぶりでした。
わたしはミステリが結構好きで、小説のジャンルの中では一番多く読んだような気がします。数えてないので不正確ですが。
そのせいか、伏線や犯人、共犯者、偶にトリックまで読みながら見破ってしまいます。これは別に頭が切れるとかではなく、ミステリの読み過ぎによってパターンに気づいてしまうというだけです。読みながら内容やテーマ、文体や雰囲気は楽しめても、ミステリとして推理を純粋に楽しめないことがままあります。
本作を読んで久しぶりにドキドキワクワクするミステリの醍醐味を味わえたので、名作恐るべし!です。流石有名になるだけある、と思います。
古典や名作は、名前だけ知っていて読んでない。ということが割と多いですし、今回のような発見を期待して、今後色々読んでみようかなと思います。
今はあまり浮上していませんが、ツイッターで紹介されている本が気になるので、今度ツイッターでおすすめを募集してみるかもしれません。
脱線しましたが、横溝正史を読んでみた感覚として、少し前に流行ったドラマのトリックや、金田一少年、名探偵コナンなどが好きな人は波長が合うと思います。ちなみに、わたしは全部好きです。
若様組がいとおしい
畠中恵の明治西洋菓子シリーズ「アイスクリン強し」の前日譚、「若様組まいる」を読了しました。
ずいぶん前にシリーズ前作「アイスクリン強し」を読んでいましたが、その後続編が出ているとは知らず、最近になって3作目が出たことでこの作品を知りました。
前作で活躍した西洋菓子職人、ミナの幼馴染たちが今回は主人公です。明治の開化の世が舞台ですが、その恩恵を全く受けられなかった元旗本の「若様」たちは、皆世が世なら何百石の領地を統べる殿様となるはずの若者ばかり。しかし、明治維新によって徳川幕府は解体され、元旗本達は‟賊軍”として今までの土地や暮らしを全て奪われることになります。若様とは名ばかりで貧乏な上、元家臣たちの面倒を見るため毎日のご飯の心配をしなければならない有様です。そんな若様達が将来のために悪戦苦闘しながら前に進む、甘くてほろ苦い青春群像劇です。
わたしは、‟明治”という時代の分岐がどうにも気になり、明治ものなら小説からノンフィクション、漫画まで何でも手を出してしまいます。
何故この時代がそこまで気になるのか。それは、価値観の大転換があったからだと思います。ついこの間まで白だと思っていたことが突然黒に変わる。生活が、階級が、価値観が、隣人が猛スピードで変化していく。この流れで、富を得たりチャンスを掴んだ人がいる一方、取り残された人や消えていった物事はどれだけあるだろう。そう、想いを馳せずにはいられません。
本書で活躍する「若様」達は、取り残された典型の元武士の子孫。この若様たちが、巡査になることを目指して警察予備学校を受験するところから、物語はスタートします。
薩摩の勢いの強い警察組織で、若様たちは嫌がらせを受けたり、同期と衝突したりしながら何とか日常に慣れていきます。いがみ合っていた同期達が、次第に心を許せる仲間になっていく展開は、爽やかな青春を感じるストーリーです。
しかし、やっぱりそこで甘いだけではいかないのがこのシリーズ。甘いお菓子をテーマにして苦い現実を描写した前作と同様、そしてそれ以上に、若様達の直面する現実は苦く遣る瀬無いものがあります。
本作の主人公格、長瀬の心理描写にはちょっと切なくなりました。上手く行くことばかりではないし、選びたくても選べないものがある。でもそれを嘆くのではなく、現実を生きるために別の道へと踏み出して行く若様たちは、とてもカッコいいです。
このシリーズは最新作、「若様とマロン」が最近文庫化しており、読むなら今がおすすめです。
本屋さんを巡っても出会えないときが割と多かったので、シリーズが出ている今がチャンスです。本作「若様組まいる」だけでも単品で読めますので、ご興味のある方はぜひ今がおすすめです。
純粋な推理の極限
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」
本の題名にもなったこの台詞。こんな短い一文から一つの筋道立った推論を導きだすことは可能なのか。安楽椅子探偵ものの純粋な推理の極限を見ることができる作品です。
- 作者: ハリイ・ケメルマン,永井淳,深町眞理子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1976/07/01
- メディア: 文庫
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ミステリというと、不可思議な事件が起きた後、そのときの状況や関係者の動向、さらに過去や背後関係を探偵役が調べ、推論を導き出すというイメージがあります。探偵は警察関係、少年少女、大学教授、陰陽師、パティシエなど、作品によって千差万別ですが、事件が起きてそれを解決するという『型』は、大体共通しているものだと思います。この小説の奇抜なところは、その型を大きく外してくるところです。
表題作『九マイルは遠すぎる』という短い短編のなかで提示される事件(=謎)はただ1つ。
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」
誰が、どこで、どんな状況で発されたのかさえわからない短い言葉から、何事かの結論など導くことは本当に可能なのでしょうか?
事件でもなんでもないただの一文には、調べるべき現場もなければ関係者、目撃者もいません。探偵は純粋な推理のみで謎を解き明かさなければならず、証拠など最初から調べようもないです。
純粋な推理といっても、これでは妄想と変わりがないのでは?そんな考えも浮かびますが、そうさせないところがこの小説の凄いところです。
・発言者はどんな人物?
・時間帯は?
・歩いている場所は?
そして
・九マイルの距離をなぜ歩いて移動している?
こんな風に、少なすぎる材料から仮定を繰り返し、徐々に詳細な状況を炙り出していきます。まだ読んだことのない方は、ちょっと予想(妄想?)してみてから読むとまた面白いかもしれません。
純粋な推理の面白さを存分に楽しめる1冊です。ミステリ好きで、色々な作品を読んでいる方ほど、変わった趣向を面白く感じるかもしれません。わたしは王道(ホームズやクリスティなど)から最近の作家さん(創元社系など)まで割と読む方ですが、それでも本書は目新しく感じました。
思考することは面白い。そんな事を思わされました。