本の虫生活

おすすめ本の紹介などしています。著者をア行からワ行まで順番に。

菜食主義者ー狂気の美と日常の憎悪

目立った特徴がどこにもない、「平凡でふつうな女」だと思っていた妻は、ある日を境に「知らない女」になってしまった…。

 

これは、Twitterで流れてきた『読んだら体調が悪くなる』という凄い感想を拝見し、俄然読みたくなった本です。実際、読んでみたらどうなるのか、体調が悪くなるほどの繊細な感受性が自分にあるのか微妙だと思いましたが(『熊嵐』『ひかりごけ』を読んだ後熟睡できるぐらいなので)、読んでみて‥‥ちゃんと気分が重くなったのでほっとしました。

 

本作は、突然肉食を厭い菜食主義者となった女性が、周囲に迫害されながら静かに狂っていくという、なかなかショッキングな内容の物語です。本当に狂っているのはだれなのか、何なのか、…。社会の抑圧から逃れることの苦痛と陶酔が淡々とした語り口で描かれており、おぞましさと共に美しさを感じる文章でした。

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 

 本作は、3つの短編から成る連作短編集です。

表題の『菜食主義者』からはじまり、2年後の事件を綴った『蒙古斑』、3年後の『木の花火』で終幕となります。簡単にですが、この3編のあらすじを書いておきます。

 

(あらすじ)

菜食主義者

平凡で目立った特徴のないところが何もない普通の女であることを買い、結婚したはずの妻ヨンヘは、ある日突然肉食をしなくなった。夫の目線から描き出される妻は、平凡な女から、得体の知れない見知らぬ女へと変化していく。少しずつ今までの生活から離れて、夫や周囲の人間の目から見て「狂って」いく妻に恐れと嫌悪をにじませていく夫は、物語後半からだんだん傍観者へとなり果てていく。親戚一同が集って食事を摂ることになったその日、事件は起こってしまった。

 

蒙古斑

①の事件から2年ほど経った時間軸。ヨンヘは夫と離婚し、療養を続けながら社会復帰を目指していた。ヨンヘの姉のインへは、ヨンヘを心配して自分の夫に様子を見てやってほしいと持ち掛ける。芸術家であるインへの夫は、義妹であるヨンヘに蒙古斑が残っているという話を妻から聞き、強烈なインスピレーションを得て、ヨンヘに作品のモデルになってほしいと持ち掛けた。義妹の蒙古斑に異常な興味を持ち、葛藤しながらも欲情してしまう彼と、モデルを引き受け恍惚を得るヨンヘは、ついに第2の事件を引き起こしてしまう。

 

木の花火

②から1年後、病院に入院したヨンヘを見舞う人間は、もう姉のインへしかいなくなっていた。狂った次女を蔑み、見捨てた両親や、ヨンヘを見捨てた夫に変わり、インへは一人でヨンヘの世話を続けていく姿を見て、インへは説得を重ねて妹を助けようとするが、ヨンヘはもう姉の言葉も届かなくなっていた。全く効果のない治療や説得に疲れていくインへは、ヨンヘの気持ちに、精神にすこしずつ肉薄していくが…。

 

 

 『ベジタリアン』という言葉は随分前から一般的に使用されており、考え方も世界中で理解されている気になっていましたが、本作を読んでその認識が変わりました。

普段受け入れている気になっている菜食主義(ベジタリアン)は、身近にないから興味がないだけなのかもしれません。もし身近にいたら、奇異の目で見たり、嫌悪を感じることは本当にないのか。そう考えると、自然に衒いなく受け入れることはできるか、不安になってきました。

主人公のヨンヘは、「何の特徴もない平凡な女」として、社会の規範から何ひとつ外れない存在として登場します。しかし、菜食主義をはじめてから、彼女への評価は一変します。菜食主義にはじまり徐々に周囲の人々とは違う行動が表に出始めると、夫を発端として周囲は彼女を好奇の目に見つめ、嫌悪し、『矯正』しようと圧力を強めていきます。当然の権利として肉体関係を強要する夫、肉を無理やり口に突っ込んでまで食べさせようとする父親、漢方薬と偽ってたんぱく質を摂らせようとする母。自分達の「普通」をヨンヘに押し付け、日常からの脱線を許さない3者の行為が、抵抗するヨンヘの獣性を呼び覚ますことになる最初の短編は、読んでいて胸が悪くなるくらいでした。

 

この小説は、1編目だけで充分重たいのに、続く2編で追い打ちをかけてきます。しかし、読むならばぜひ最後まで読んだほうが、この物語を理解できると思います。なぜヨンヘが肉食を拒んだのか、夢で、ヨンヘの言葉で語られる植物のモチーフと菜食の関係は、蒙古斑がなぜ出て来るのか、…。最後まで読むと、ひとつひとつの繋がりが朧気に見えてきます。

菜食主義者」でヨンヘは、胸を拘束する下着を嫌がるる描写があります。最初に読んだときは気が付きませんでしたが、この場面も後への伏線になっていたのだと思います。

胸では何も殺せないから。手も、足も、歯と三寸の舌も、視線さえ何でも殺して害することのできる武器だもの。 

 (「菜食主義者」 p55より抜粋)

この台詞はとても象徴的です。 肉を食べることを嫌がる理由として、ヨンヘが命を奪うことへの嫌悪、自らのために他を害することへの嫌悪があるのでは、と感じました。

2編目の「蒙古斑」は、ヨンヘの臀部に残る蒙古斑を巡る騒動です。彼女の特徴といえば、最初に描かれていたのは平凡、普通だけだったのに、1編目、2編目で強調されているのは、「」と「臀部」。明らかに女性性を意識せざるを得ない部位を特徴的に描写されるのが、なんとも厭な気分になりました。彼女の精神は女性性から離れ、植物のようになることを切望するのに、周囲の目は彼女の女性性に向き、胸をさらけ出す彼女を蔑視し、蒙古斑に欲情するという倒錯が起きてしまいます。社会の中で、性別を否定することが困難であると突きつけられるようで、ちょっと複雑な気分になりました。

ただ、この『蒙古斑』は、彼女の女性性以外にも、もうひとつの暗喩が込められています。 本編中で「太古のもの、進化前のもの、光合成の跡のような」と評される蒙古斑は、ヨンヘの持つ心的イメージである植物とリンクしています。最終章の3編目では、幼子のようになってしまったヨンヘが描かれます。ふくらんだ胸は痩せてなくなり、臀部に蒙古斑が残り、身体的変化に合わせるように、精神も無邪気な子どものようになっていきます。ここへきて、しつこく描かれた「胸」と「蒙古斑」が、子どもへと、命のはじまりへと還っていく暗喩だったのではと気が付きました。なかなか読みにくい作品ですが、各所に散りばめられた暗喩と伏線を探っていくと、まだまだ解釈できると思います。

 

 

そして、ここでやっとタイトルに戻ります(前置きが長すぎました)。

狂気の美(ヨンヘ)と日常の憎悪(インへ)について。

この記事で一番書きたかったことは、ヨンヘの姉、インへの感情の揺らぎです。

ヨンヘの狂気を恐れ、或いは厭い、引き離されたことで、ヨンヘの周囲には最後は姉以外いなくなります。最初はヨンヘを全く理解できていなかった姉が、2人で過ごすうちにヨンヘの感情にシンクロしていき、そして離れていく機微がとても物悲しく、惹き込まれました。

 ヨンヘは2編目のはじめ、夫と離婚して就職活動をし、日常へ戻るような素振りを見せていましたが、3編目に入るともう戻る兆しはなく、一切の食事を拒むようになりました。姉はそんな妹を心配していましたが、だんだん恨み、憎悪を見せるようにもなります。

しかしインへが哀しいのは、ヨンヘに共感する故の憎悪であるからです。

泥沼のような人生を自分に残しておきながら、死(自由)へ向かう妹への嫉妬を覚え、

子どもさえいなければ、自分だって日常から離れてしまっただろうと思う。

インへは妹を『理解できない狂人』と思うのではなく、一種の羨望と嫉妬から憎悪を向けている場面、読んでいて一番共感できるところでした。

 

狂気にしか見えない行動をするヨンヘは、死ぬ寸前まで追い込まれ、痛々しい描写が続きます。しかし、「蒙古斑」で描かれる彼女の肉体や、「木の花火」で幼子のように笑うヨンヘはうつくしく描かれます。日常にいては決して手に入らない、自由な精神から齎される美は、きっと見たものを動揺させ、嫉妬させるのだと、読みながら感じました。

社会で生きていく以上、がんじがらめのルールや暗黙の了解に従い、自分の望みを抑え込んで周囲に合わせ続けなければ、或いはそれを自らの意思と思い込まなければ、居場所はなくなってしまいます。けれど狂ってしまえば、周囲からの迫害に負けなければ、精神の自由というこの上ない幸福を手に入れることができるかもしれません。

本作で描かれたのは凄絶な自由への渇望と、それを許さない社会、日常の圧力なのだと思います。規律を乱す異分子を排除しなければ社会の秩序は保たれないから、異分子を排斥しようとするのは、自然な流れでしょう。しかし、個人の幸福、自由を求める気持ちはどの人間からもなくなりはしない。だからこそ、抜け駆けで『自由』になろうとする狂人に、日常に住む人間(わたしたち)は嫉妬し、憎悪してやまないのではないでしょうか。

 

【解答編】夏は読書の季節

13日の金曜日

 

何もないとわかっていても、来るたびにちょっと特別感のある13日の金曜日は、ちょっと得した気分になります。

 

それはさておき、今日は前回upした記事の解答編です。

完全に趣味で選んだ、しかもランダムに抜き出した箇所のクイズだったので、正直難しすぎたと思いますが、読んだ本から好きな場所を抜き出すという作業はやってみて楽しかったので、またやろうと思います。

それでは、答えの発表です。

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車輪の下 ヘルマン・ヘッセ

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

 

 色んな出版社から出ていますが、わたしが引用したのは新潮社です。

他の訳と読み比べしたことはないですが、ちょっと気になりますね。

 

②月と六ペンス  サマセット・モーム

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 こちらも新潮文庫から引用しました。

長い間読んでいなかった名作で、想像していたよりずっと読みやすくてぐっと引き込まれる本でした。

 

③タイムマシン ウェルズ著

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

 

 SFの先駆者、といえばやはりウェルズ。

タイムマシンを最初に小説に登場させた想像力に脱帽です。

 

④蠅の王 ウィリアム・ゴールディング

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

 

少年少女の遭難もの、冒険譚はワクワクします。

明るい冒険譚より、これとかルナ・ゲートの彼方とかが好きです。

 

⑤春にして君を離れ

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 読書会にも持って行った、近辺で今年流行りの本。

奇想天外な展開や謎はないけれど、じわりと面白い本でした。

 

富嶽百景 太宰治

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

 

 太宰作品のなかでもかなり好き。

冒頭でいきなり富士山をけなすのにはびっくりして笑いました。

 

⑦河童 芥川龍之介

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 

河童を最初に読んだ衝撃ときたら…。

ついつい何度も読み返しています。

 

沈まぬ太陽 山崎豊子

沈まぬ太陽(一) ?アフリカ篇・上?(新潮文庫)

沈まぬ太陽(一) ?アフリカ篇・上?(新潮文庫)

 

 御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故を題材にした小説。

でも、最初はアフリカ編からはじまります。

 

 神の子どもたちはみな踊る

神の子どもたちはみな踊る

神の子どもたちはみな踊る

 

 かえるくんの話が好きです。

 

⑩国語入試問題必勝法 清水義範

国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

 

 これを読めば大学入試もらくらく突破!(大嘘)

ちょうど受験生のときにこれ読んでました。この短編集、最後のがまた面白いんです。

 

 

以上、解答でした。

 

【問題編】夏は読書の季節?

読書の秋という言葉をよく聞くけれど、わたしにとっては夏の方が読書界隈の盛り上がらいを感じます。

 

夏休みの読書感想文に合わせた新潮文庫の100冊、集英社のナツイチ、角川のカドフェス(フェア名はこれで合っていただろうか。ちょっとうろ覚え)があって、書店に活気を感じるのは、やはり秋より夏です。

秋は涼しくなってちょうどいいかなあと思いますが、何故か毎年記憶がないほどあっという間に過ぎて気が付いたら年末なので、今年はちょっと意識して『読書の夏』を過ごしました。いつもはさっと読み流してしまう本から気になるフレーズをいくつか選んだので、ご紹介します。

 

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今年の夏に新たに読んだ本、そして読み返した本のなかから、上記の写真10冊を選びました。

フレーズだけ抜き出して掲載するので、わかった人がいたらコメントやTwitterの方にでも書いていただいてもOKです。答えは【答え合わせ】記事に載せようと思います。

では、紹介していきます。

 

①ヒント:海外小説、読書感想文向けにもよく選ばれる?

自然に造られたままの人間は、計ることのできない、見通しのきかない、不穏なあるものである。それは、未知の山から流れ落ちてくる奔流であり、道も秩序もない原始林である。原始林が切り透かされ、整理され、力でもってされねばならないように、学校も生まれたままの人間を打ち砕き打ち負かし、力でもって制御しなければならない。

 海外小説で書名を知らない人はいないくらいの有名な作品ですが、ドキリとするような厳しい表現と柔らかい心情描写の緩急の付け方が上手くて、正直して想定よりも面白かったです。

 

②ヒント:海外小説、タイトルがおしゃれ

 「奥さまは、すべて水に流して一からやりなおしたいとお考えです。あなたをとがめだてするつもりはまったくないとおっしゃっていました」

「くだらん」

「ろくでなしの人非人と思われてもいいんですね?奥さまとお子さんが物乞いをするはめになってもいいんですね?」

「知ったことか」

わたしは次にいう言葉に重みを持たせようと、少し黙った。そして、一語一語ゆっくりいった。

「あなたは、最低の男だ」

 こちらも有名な作品ですが、何となく難しいとか読みにくいというイメージを勝手に持っていて未読の作品でした。今年読んでみて、あっという間に引き込まれて好きになった本です。コンラッドの闇の奥とか、人間の精神の奥底を覗くような、そういう作品に魅かれます。

 

③ヒント:海外小説、SF

未来世界を覆った気の滅入る荒廃を、いったい、どう話したものだろうかねえ。真っ赤に燃える東の空。北の暗黒。塩分の濃い海は死海と同じで、生き物は棲めない。石混じりの浜に、鈍重なカニの化け物が醜い姿をさらして這いずりまわっているばかりだ。緑の植物はどれもこれも、毒がありそうな地衣類、もしくは藻類でしかない。空気は薄くて息が苦しい。そんなこんなで、世界は見るも無惨だよ。

 SF小説のなかでも一番好きかもしれない1冊。未来世界と書いてしまっているので、これはわかりやすいでしょうか?

 

④ヒント:海外小説、冒険

「<獣>を殺せ!喉を切れ!血を流せ!」

動きが規則的になるにつれ、歌ははじめの浅薄な興奮を失い、着実な 脈拍のようにリズムを刻みはじめた。

(中略)

いくつかの輪が、回りつづけることで安全が確保できるとでもいうように、ぐるぐる回りつづけた。そこではひとつの生命体が動悸を打ち、足を踏み鳴らしていた。

これは読んだことがある人には1発でわかってしまうと思います。

スリリングで記憶に残るフレーズですね。

 

⑤海外小説、著名作家の隠れた名作

トカゲが穴から顔を出し‥‥‥

真相が‥‥‥

真相が少しずつ、トカゲのようにひょこひょこと現れる。「わたしはここにいる。おまえは知っているはずだ。わたしをよく知っているはずだ。知らないふりをしても、何にもならないんだからね」

真相を知っているーだから恐ろしいのだ。

(中略)

愛している人たちのことなら、当然知っているはずなのに。

わたしがこれまで誰についても真相を知らずにすごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだ。 

 著名作家の作品のなかでも、タイトルに聞き覚えがなくて、なんとなく読んでみた作品です。今年メディアで何かと話題になったようで、再評価されているようです。

 

ここまでが海外小説編です。続いて日本の小説編です。

 

⑥日本の小説、皮肉な語り口が癖になる

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西及び南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士さえ描いている。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと広がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。

 ほとんどネタバレしていますが、この作品が好きなので載せました。

はじめて読んだときは「こんな話だったのか!」と結構びっくりしました。

 

⑦日本の小説、文豪の、教科書には載らない方の作品

「この国の死刑は日本よりも文明的に出来ているでしょうね?」

「それは勿論文明的です」

ペップはやはり落ち着いていました。

「この国では絞罪などは用いません。稀には電気を用いることもあります。しかし大抵は電気も用いません。唯その犯罪の名を言って聞かせるだけです」 

 これだけでもピンとくる人はいそうですが、もう一箇所載せたい場面があるのでそれも書きます。

「君はあしたは家にいるかね?」

「Qua」

「何だって?」

「いや、いると云うことだよ」

大体こう云う調子だったものです。 

 この調子はずれのやり取りが好きで…。⑦がすぐわかった人は握手しましょう、Qua!

 

⑧日本の小説、昭和の大事件を題材とした名作

テントをうつ雨の音を聞き、ちろちろと外で燃える焚火を見るにつけ、恩地に、テヘラン空港で妻子と別れた時の体が引き裂かれるような苦痛が甦って来た。テントをうつ雨の音さえ、あの時の激しい飛沫に思えた。

あの日から、独り東アフリカのケニアに赴任し、既に二年半も経っている歳月を思うと、自分は、まさに現代の組織における"流刑の徒"以外の何ものでもないー。 

 有名だけど読んだことがない、という人も多そうな作品。初めて読んだとき、有名なくだりが出て来るまでは全く違う話が続くので、ちょっと面くらいました。このフレーズでピンとくる人はなかなか通ですね…。

 

⑨日本の小説、有名作家の作品のなかでもコアな方?

片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。二本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。身長1m60センチ しかないやせっぽちの片桐は、その堂々とした外観に圧倒されてしまった。

「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」と蛙はよく通る声で言った。

 特徴的な名詞がでているので、わかる人にはすぐわかってしまいます。

この著者の作品をたくさん読むほうではないのですが、上記の短編は好きです。

 

⑩日本の小説、わたしのイチオシ

意欲がわかなかったが、とにかく浅香一郎は最初の問題に目を通した。

 

●次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

積極的な停滞というものがあるなら、消極的な破壊というものもあるだろうと人は言うかもしれない。なるほどそれはアイロニーである。濃密な気配にかかわる信念の自浄というものが、時として透明な悪意を持つとこがあるということは万人の知るところであろう。 

 ヒントがヒントになっていません。これがわかる人はわたしと握手(以下略)。多作の作家なのでどの本を選ぶか迷いますが、わたしは上記の作品が載った短編集が一番好きです。肩ひじはらずにただ笑える1冊です。

 

 

以上、10冊のクイズでした。

海外小説と日本の小説を5冊ずつ、すべて一度は名前を聞いたことがある作家または作品を選んだつもりです。

結構楽しかったので、またこういう記事を書こうかな、と思います。

答えは次の記事に書くので、よかったら確認してみてください。

 

 

LINEアカウントが消えた

最近、思ったよりショックなことがありました。

 

友人とかつき合いの多い方ではないし、引っ越しやら進学やら転職の度に人間関係がリセットされることが多かったから、別に大丈夫で思っていました。

なのに。

たかがLINEアカウントが消えただけで、立ち直るのに1か月近くかかりました。

 

辛いとかショックという感情より、そういう感情が芽生えたこと、そして割と引きずったことが自分では意外で、興味深くもあったので記事として記録を残すことにしました。

 

LINEアカウントが消えた日

 

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「あれ?」

充電が終わる頃合いのスマホをケーブルから引き抜こうとしたとき、予想外の熱に指を引っ込めた。

偶に使いすぎると熱くなるけれど、充電後にここまで熱くなるのは珍しい。その日はちょっと引っかかりながらもいつも通りツイッターを開き、はてなブログアクセス解析に一喜一憂するうちに時間が経ち、次の日の準備を慌ただしくして布団に潜った。

転職したばかりで、毎日覚えることだらけの生活は慌ただしく、最近は働いて帰って寝るだけの毎日。このブログも更新する気力が湧かないのが目下の悩みだったりする。別に更新しないことで誰も困りはしないけれど、何となく習慣になっているブログが書けないことは地味にストレスになる。書きたい気持ちばかり膨れるけれど、今は新しい環境に慣れる方が優先だからと自分に言い聞かせて、なんとなく焦燥を抱えた地に足の着かない日常を送っている。

指先の熱さに驚いた日から数日。毎日充電すると熱くなり、電池の消耗も前より早くなったスマホに違和感を覚えつつも、社用ケータイと私用スマホの2台を毎日充電する煩わしさにかまけていて、特に修理とかは考えてもいなかった。それでもちょっとは気になっていたから、動画とか音楽を聴き過ぎないようにとか、全然使っていないアプリを消したりとかしてみたけれど、だんだん電池の減りが急激になり、ついにその日がやってきた。

 

「何これ…」

3時間以上充電ケーブルに繋いでいたから外そうと思って近づいたとき、スマホの画面が白く光っていた。起動するときに表示される、齧られた果物のマークが触ってもいないのに中央に浮き出ていて、さすがに異変を感じた。急いでスマホを(iPhoneって打つのがめんどくさい)手にとってホームボタンを押しても、なにも反応しない。

怖いから一晩そのままにして、家にスマホを置きっぱなしにして会社へ出かけた。時間がないし、帰ってから修理に出せるショップを検索しようと思っていた。

 それが、生きてる前スマホを見た最後だった。

 

 

ここまで書いてからちょっと恥ずかしくなる。

なんで小説(エッセイ?)調にしたかというと、こっちの方が時系列でわかりやすいからという理由だった気がする。でも想像以上に何か恥ずかしい。むしろ小説書くぞ!って感じで書くときの方が恥ずかしくない。過去にちょろっと小説を書くサイトに投稿したことがあるけど、あれも今思うとよく衒いなく書けたものだと思う。なんだか妙に恥ずかしい。そういえば、1年くらい前に書いたあの小説は未完だったとかどうでもいいことまで思い出す。その話題は思い出すのはやめよう。

 

しかしここまで書いたのだから、気を取り直して続きを書きます。

 

(続き)

タイムカードを切った後に話しかけられて、うっかりサービス残業をして(こういう日はままあるけれど、もしかしてブラックなのかな。昼休みも長くて15分くらいしか取れてないし…)から溜息とともに帰宅する。そういえば、スマホどうなったかなと思いだして、置きっぱなしにした机を振り返る。

ひんやりとした感触と黒い画面を確認し、何の気なしにホームボタンを押して、何も変化が起きないことに首を傾げる。

おかしいな、充電完全に切れたかな。そう思って充電ケーブルを差した。けれど結局、その後スマホに電源が入ることは二度となかった。

そのあとはまあ色々焦って方法を探したけれど、修理代金が4万円近くかかること、それでも直る保証はないこと、手元に戻るまで3週間かかることなどを知り、新しいスマホに買い替えることにしました。仕方ない。出費は痛いけど不便だから。そう思っていたのはまだ余裕があった。

 

LINEの復旧ができないことに気が付くまでは。

 

LINEは、わたしは大学生のときから使いはじめた。最初は皆が使っているものとか流行に対する偏見や反感が少しあって、皆よりちょっと遅れて使いはじめた。天邪鬼というか、単にメンドクサイ偏屈な人間だと自分でも思う。メールとは全く違う情報の伝達速度、特にメーリングリストではできない即時の双方向伝達に、あっという間にヘビーユーザーになった。少し前まではなかったとは思えないほど、現代人はLINEに依存している。少なくとも、わたしはそうだった。

以前、パソコンで開いたことがある記憶を思い出し、ログインを試みるもできなかった。以前落としたLINEのアプリを何故かアンインストールしていて、電話番号でログインしようとしても、肝心のスマホが反応しないため、ショートメッセージを受信できない。メールアドレスでログインしようとしても、スマホアプリのLINEに認証番号を打ちこまないとログインできない。Facebook連携もしていない。ネットやLINEのお問い合わせフォームまで情報を探し回り、それでも復旧できる可能性がほぼないことを知り、軽く絶望した。

 

たかだかアプリひとつ無くなっただけで、ここまで打ちひしがれる自分に衝撃を受けた。

 

本当は、MNPで番号を引き継いでいれば、トーク履歴は復元できないとしてもアカウントを復活することはできたとも思う。でもパスワードもうろ覚えで何度も弾かれたり、MNP転出番号発行に時間がかかったり、いろいろ試行錯誤することに疲れてしまった。友達や知人の連絡先が消えるのが不便といっても、そもそも人間関係が煩わしいのが厭で、学生時代の友人数名意外とほぼやり取りしない自分に、そこまで必要だろうかと考えてしまった。転職もしたし、前の職場の同僚は全国転勤で顔も見なくなっていたから、特に連絡が取れなくても何とも思わない気もした。

なのに。

何年も連絡を取っていなかったり、今後も連絡することはないと思うくらいの人間関係でも、消えると思うと怖くなって手が震えた。今はもう、めんどくさいグループラインの未読や既読スルーについて悩むことがなくて楽だな、とか。抜けるタイミングを失ったグループラインと縁が切れたからほっとしたとか、そう思う程度で。過去の、特に大学時代とかの昔の想い出にすがりたくて、よすがに持っていたくてあんなに苦しんだのだなと今は思う。でも失くしてみえば、別になんてことはなかった。

 

というのも、本当によく連絡を取ったり親しくしている人は、Twitterやインスタなど他の媒体でつながっていたり、一人を経由して複数人と連絡が取れたりしたから。

露骨に人間関係の清算をしたようにも思えて、ちょっとばつの悪い気分だけれど、なにか吹っ切れた気がする。本当に親しい、連絡を取りたい人と連絡が取れなくなるのは辛いけれど、過去の想い出や栄光にすがる気持ちで連絡先をキープしていた人も多かったのだと気が付くことができた。そもそも、わたしと連絡が取れなくなったことに気がつく人はそんなに多くないだろう。

自分の未練がましいところを思い知り、気恥ずかしくて情けないけれど、ちょっとだけ大人になれた気がする。

 

‟友達”が10分の1くらいになったLINEホームを見てそう思った。

 

『車輪の下』から見た景色

夏休み新潮文庫100冊の定番、『車輪の下』を読了しました。

 

あまりにも有名なため、あらすじも知っていて読んでないのに読んだような気になる本のひとつで、ようやくちゃんと読めました。

300頁に満たない短い作品ですが、鬱屈した仄暗い雰囲気と、少年の目を通して描かれる美しい風景描写の対比が心に残る、内容の濃い物語でした。

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

 

 古い小さな田舎町で、父親と二人で暮らしている少年ハンスの苦悩の日々とその短い生涯を描いた、少しダークな青春小説です。

他の子どもたちより『勉強が得意な』少年ハンスは、周囲の大人たちから過剰な期待を寄せられ、毎日勉強に明け暮れていました。凡庸な自分と違い、立身出世するだろう息子に期待をかける父、町から優秀な人材を輩出できると息巻く学校の校長、そして牧師をはじめとする町の人々、…。ハンスは周囲から特別な人間として扱われ、試験に合格して名門神学校に入学することを目標に只管勉強に励み、ついに念願の神学校へ優秀な成績で入学することになります。しかし、そこではハンスの柔らかく傷つきやすい精神を揺るがす出来事が次々と起こり、ハンスは坂を転げ落ちるように挫折を味わうことになり…。

 

秀才だけれど天才でない、散歩と釣りが好きなふつうの少年ハンスが、町中の大人に期待をかけられ、入試まで勉強漬けの毎日を送る前半部分の描写は、自分の受験時代を思い出してほろ苦い気分になりました(わたしはハンスほど勉強しなかったし、できませんでしたが)。

日の光もろくに浴びず、やせ細って頭痛に悩まされる不健康な少年ハンスは、入試を受けるときも不安ばかりで、暗記した内容を忘れたと思って青くなり、全然できなかったと塞ぎ込みます。そういう描写は現代の受験戦争にも似ていて、いつの時代も子どもに過度の負担を強いる悪習があるのだと、ちょっと陰鬱な気持ちになりました。受験や勉強はわたしは悪いものだとは思っていないけれど、本人の意思より大人がヒートアップしてしまうのは、やっぱり違う気がします。

 

話が逸れました。

小説に話を戻します。

この小説のエグいところは、ハンスが単純に大人に翻弄された哀れな子羊で、絶望するしかなかった『可哀想な子ども』ではなかった(とわたしは思います)点に尽きます。

確かにハンスは親や町の大人たちに勉強を強いられ、ある種自由のない生活を強要されていましたが、決して厭で仕方なかった訳ではなかったと推察できる描写がたびたびあります。

だが、同時にまた、奪われた子どもの遊び以上に値打ちのある時間をここで味わうこともあった。それは、得意と陶酔と勝ち誇った気持ちにあふれた、夢のような、なんともいえないものだった。そういうとき、彼は夢うつつのうちに学校も試験もなにもかも越えて、一段と高いものの世界にあこがれひたるのだった。そうすると、自分はほおのふくれたお人よしの友だちとはまったく別なすぐれた人間で、いつかはきっと人界離れた高いところから得々と彼らを見おろすようになるだろうという、思い上がった幸福感にとらえられた。

 (「車輪の下」新潮社 ヘッセ著 高橋健二訳 p21より引用)

 

人より優れている(と思い込む)ことで得られる優越感に浸ることは、誰しも持っている平凡な感情です。けれど、上記のハンスが持っていた‟思い上がった幸福感”はすこし違うと感じます。社交が不得意で友達が少なかったり、運動が苦手だったりする子どもが勉強に打ち込み、周囲に嘲られたり相手にされなかったことで蓄積された劣等感を成績で見返す、という構図が見えてきます。勉強以外のことで冷遇された抑圧がある分、この種の‟幸福感”はとても魅力的で、成績が落ちてその力を失うことを強く恐れるようになるとも考えられます。

ハンスは苛められていた訳ではないし、神学校を辞めて町に帰ってきた後に友人もいますが、それでも彼が悲劇的な結末を歩んでしまったのは、周囲の大人の期待を裏切ったという罪悪感だけでなく、この‟幸福感”を失った敗北感を強く感じた所為かもしれません。

 

 しかし、ハンスは秀才や天才たちの集まる神学校で挫折し、町へ帰ってきたあと絶望しかなかった訳ではないと思います。学校という狭い世間を出て恋を知り、失恋の痛みと悲しみを知り、苦痛を感じながらも労働の喜びも感じ始めていました。

大人達が寄せる過剰な期待と自身の自負心という重い『車輪』に擦りつぶされた、一見哀れな人生でも、車輪の下から見える景色は本当にそんなに悪かったのでしょうか。ハンスの心の描写は不安定で陰鬱だったけれど、ハンスの目を通して描かれる景色はとても瑞々しく、きれいなものでした。きっと、もう少し少年の苦悩を受け止める大人や友人がいれば、柔軟な少年の精神は新しい道にも順応し、違った幸福を見つけられたのではないか。そんな風に思います。